書評『私も「移動する子ども」だった』

新たな文化や社会の担い手としての「移動する子どもたち」の姿が浮き彫りに

市瀬智紀(宮城教育大学)

大学で学校教員になる学生たちに外国にルーツを持つ子どもたちの話をしていますが,大学生は「新たに取り組むべき課題だけれども,特殊なテーマだろうな」との印象を持つようです。今回,川上先生が,「移動する子ども」という概念を新たに提示し,その中で,セインカミュさん,一青妙さん,白倉キッサダーさん,フィフィさん…など,誰もがその活躍を知っている人のライフストーリーを明らかにしました。それらの方々の話を学生にすると,今度は,大学生たちは,現実のほうがはるかに進んでいること,そして自分たちがそうした人々の思いを知らずに生きてきたことに恥じ入ります。

移民受け入れの議論が行きつ戻りつする中で,「移動する子どもたち」は,すでに2世,3世の世代となり,地域社会,そして文化を創造しています。そんな自明のことが今まで明示的に示されてこなかった。インタビューを通して,彼らのしなやかなアイデンティティーの所在が明らかになりました。川上先生は,本当によいお仕事をなさったと思います。

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表紙『私も「移動する子ども」だった』『私も「移動する子ども」だった――異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー』

  • 川上郁雄(編,著)
  • 2010年5月10日,くろしお出版より刊 [紹介ページ
  • 定価:1,470円