書評『私も「移動する子ども」だった』

時には向き合い,時には見守る親になって

金順姫(キムスンヒ,仙台在住)

この著書に出ている様々な子どもたちのライフストーリーを読んで,環境と言語が一人の人生に及ぼす様々影響について考えさせられました。親の都合によって移動して,周りと違う環境に置かれ,成長と共に様々な葛藤を抱えながら自分の力で生き方を見つけるまでのストーリーは,一つの枠に当てはめて言えない多様な生き方そのものですね。私は,今まで子どもの複数の言語能力を育てるため,親の役割を考えて来ましたが,「子どもは社会的な関係性の中で言葉を習得するということ,そして,そのような社会的な関係性と言葉を使う個別の文脈の中で子どもが主体的に言葉を使おうとする時に言葉を習得する」(p.204),また「言語能力で何ができ,できないかよりも自分の複数言語の言語能力をどう考えて,どう生きていくかが重要ではないか。」(要約)とのお話から子どもの立場をより理解できる気がしました。世代だけでなく,国境を越えて親と全く違う環境で育てられ,親による家庭内の教育や影響力よりネットや社会の環境がより強い影響を及ぼしている時代です。

私は来日して20年になり,同じ韓国の国籍を持つ3人家族で暮らしています。複数言語習得を大事に考えた私は,一人息子に家では韓国語,外では日本語の使用を押しつけていました。小学低学年の時,韓国の名前のせいでからかわれた時も,息子が友達から些細なことでいじめをうたえた時も,決して逃げたりしないで,自分が持っているものを大事にしてほしいという強い思いを息子に強調していました。

息子は「日本の親と違うからいやだ。日本に住んでいるから韓国語は要らない」と親に対する不満を言ったり自己否定ばかりしていました。今年,長い親子のバトルの末,息子は通っていた高校を辞めて通信制の高校に編入しました。沢山の葛藤のなかでも最近はコミュニティーの林間学校に参加し,サマースクールの母国訪問プログラムに参加し,韓国レストランでバイトをはじめました。この本を読んで自分の息子も本当の自分探しをはじめているだろうと思いました。子どもは主体的に自分の生き方を探っているのだろうし,親は密かに見守って行くことの大事さを覚えなくてはならない時期かも知れません。

2019.7.23

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表紙『私も「移動する子ども」だった』『私も「移動する子ども」だった――異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー』

  • 川上郁雄(編,著)
  • 2010年5月10日,くろしお出版より刊 [紹介ページ
  • 定価:1,470円