書評『私も「移動する子ども」だった』

これからの学校とJSLの子どもたちを思う

高際 伊都子(渋谷教育学園渋谷中学高等学校副校長)

欧米に比べ,人々が移動することが少なかった日本においては,日本語という共通語の習得は,当たり前感が強く,その上に独自文化が発展しているという意識をもちにくいと感じています。

主語をはぶき,空気を読みながら会話することになれてしまっていること以上に,日本に住み,日本語を話す日本人という3要素を持っていないと日本人として受け入れにくい土壌が,グローバル化のすすむ世界で,混乱をおこしているのかもしれないと考えました。

子どもたちのアイデンティティーは,学校という年齢集団の中で,育まれていきます。これからますます,移動させられる子どもたちが増えていく学校現場で,日本で学ぶ縁のある子どもたちとどのように向き合っていくのか,大きな課題が突きつけられていると思います。

開かれた社会,グローバル化した社会という言葉は,とてもよい響きをもっていますが,これに対応できるよう今後ともご指導をいただければ幸いに存じます。

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表紙『私も「移動する子ども」だった』『私も「移動する子ども」だった――異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー』

  • 川上郁雄(編,著)
  • 2010年5月10日,くろしお出版より刊 [紹介ページ
  • 定価:1,470円