トルコ便り「M9.0を超える力――ことば」

工藤育子

4.4月4日,チャナッカレオンセキズマルト大学・日本語教育学科,近藤先生訪問

2011年4月17日

2年ぶりに以前の勤務校を訪れました。今回のチャナッカレの4月は,記憶している感覚と違って,随分寒く,まだ春を迎えていないようでした。

まず,日本で大きな地震があったとわかってすぐに,卒業生や在校生の多くの方から,お見舞いのメールが届いたことについてのお礼を伝えました。そして,困難な状況にある日本に対して,日本語教育に何ができるかという問いを考えながら,トルコに来ているということも話しました。

近藤先生によると,地震の報道以来,学科の学生らによる義援金活動が続いていること,4月11日・12日に開催される学科主催の書道ワークショップで,日本への応援メッセージを書く活動を予定し,進めているところだということでした。

そういえば学部建物の入り口の机に箱を置いて,後ろに日本の写真を貼って,通りかかる人に呼びかけている学生の方がいました。きっと彼らが義援金の受付をしていたんですね。

書道ワークショップは,書道クラブの方が中心となってメッセージを書いておき,開催当日,例年通り来てくれるだろう他学科の方や近隣の方とともに,さらに多くのメッセージを書き込んでいく計画だと聞きました。

担当の先生のご配慮で,書道クラブのみなさんの練習を見せてもらうことになりました。筆を持ったまま考え込む人,今の気持ちをとにかく思いつくまま書き出している人,作文する人,文字をデザイン化してみる人など,それぞれの方法で「ことば」を探しているようでした。どの方も,自分の言いたいこと,日本に伝えたい今のこの気持ちをどのような「ことば」で表現すれば本当に伝わるのか,それを考えるのが非常に難しいと言っていました。

また,どのような「ことば」がよりよいのか,今の状況により適切なのか教えてほしいと言われました。しかし,わたしが例として挙げる「ことば」が,目の前にいる一人ひとりの考えや気持ちを表現するものとはなり得ません。

そこで,わたしの東京での地震体験と,日本でのさまざまな報道から聞き知っていることをお話することにしました。その話も含めて自分で感じたことを書いてみるのはどうかと提案したかったからです。話しているうちに,小学生の当時,トルコ大地震(1999年8月)を震源地の近くで経験している人がいるとわかりました。そのときの悲惨な状況を思い出して,今,その数倍もの悲しみを感じているとも話してくれました。

震災にあたっての,自分の「ことば」を見つけようとして思考を巡らせている様子は,つまり,今の,日本と自分の関係はどのようなものだと表現できるか,何だと言えるかと考えている過程なのだろうと感じつつ,みなさんの書き始めるのを待っていました。「ことば」に託す情感が深ければ深いほど,そして,「ことば」をともに感じる相手との,互いの関係が濃密であればあるほど,生み出すために費やされる時間や精神力も相応のものであるのだと再認識しました。みなさんから発せられる,暖かくも張り詰めた空気に触れ,その想いが肌から沁み込んで,内側に至り,じわじわとわたしにエネルギーが生まれて来るように感じました。

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