トルコ便り「M9.0を超える力――ことば」

工藤育子

6.4月5日,チャナッカレにて『KALEM』新聞取材

2011年4月19日

思いがけないことから,チャナッカレの地方新聞の取材を受けることになりました。震災に対する関心の強さがわかります。東京で地震を経験し,その後10日間の日本の様子を見てきたひとりとして,体験を話すことによって情報を伝達するのもわたしの役割であると思っています。

「日本の震災を悼み,トルコは半旗を掲げました。ご存じですか。」
― そうなんですか。そのように弔意を表してくださったのですか。
「いいえ,知りませんでした。全然。」
「トルコで半旗を掲げるのは,これまで,アタ・チュルクの亡くなったこと[*1]に関してだけでした。ですから,今回で“2回”目ということになります。」

アタ・チュルクとはトルコ共和国建国へと導いた,トルコ革命の指導者であり,初代大統領です。わたしの知る限り,大学の各研究室や教室にはアタ・チュルクの肖像があり,現在のトルコリラ全紙幣にも肖像が印刷されており,国民の敬愛が表われているのを感じています。

挨拶が終わるか終わらないかのうちに,出だしから考えさせられる話題が投げかけられました。

まず,半旗を掲げるという行為に,アタ・チュルクへの弔意と同等の,日本への弔意が示されたことに大きな驚きを感じました。それとともに,トルコ共和国が,日本との関係において,震災をどれだけ悲しんでいるのか,日本へどれだけ深い愛情を届けてくれようとしたのかという“国家の念”とも言えるようなものに触れた気がして,畏れを感じ,言葉を失いました。

その感覚は時間が経過した今も残っていますし,この行為を「ことば」とは何かという問いとの関係でどうとらえるべきか考え続けています。

“半旗を掲げる”行為は行為であって,「ことば」ではない,と言う人がいるかもしれません。しかし,トルコでのその行為の背景を知ることによって,わたしには大きなメッセージが読めました。音や文字になって表現せられる弔意以上に,日本の復興へ希望をつなぐ者への声援が聞こえたように思います。「ことば」とは何かということを定義するとすれば,わたしたちの行為や,ある個別の社会における意味も含むということでしょうか。「ことば」は辞書の中では生きていないということでしょうか。「ことば」を学ぶといって,辞書を調べたり,何度もノートに書いたりしているのは,あれは何でしょう。

日本語教師という「ことばの教育」に携わる者として,考えるべき課題はまだまだたくさんあるようです。

[*1] アタ・チュルクの命日である11月10日に半旗が掲げられているそうです。

参考

二日間,半旗が掲げられる

トルコ政府は東日本大震災に際し,犠牲者に対する哀悼の意を表すために3月18日から21日まで,半旗を掲げることを決定した。政府の決定は以下のとおりである。

3月11日に発生した「東北地方太平洋沖地震」で被災された日本の方々と日本に対し,相互協力を表すために全国の政府行政機関および海外機関において3月18日(金曜)午後6時から21日(月曜)午前9時まで半旗を掲げることが決定された。(記事翻訳:ベルナ・アルカン)

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