書評『私も「移動する子ども」だった』

「移動する子どもたち」の“葛藤”

鎌田修(南山大学)

自己形成,つまり,アイデンティティの確立には何らかの言語文化集団への帰属は避けられず,そのために果す言語の重要性も言うまでもない。しかし,第二言語の獲得が母語獲得のように比較的自然に起こると考えられている臨界期までに,何らかの理由で地理的,あるいは,文化的な「移動」が強いられた子どもにとって,自己確立への道は決して平坦ではない。本書は,そのような「移動する子どもたち」との真に迫ったインタビューからなる貴重なエスノグラフィーである。

ハーフ,ダブル,在日と,いろいろな修飾語が付くことに戸惑いを感じながらも社会に認められる大人になった9人とは一線を画す,ベトナム人難民の親のもと,神戸で生まれ育ったラップ音楽家のNAMさんは長らくベトナム語を否定。しかし,「本当の自分」を歌うためには,母語の日本語ではなく,母国語のベトナム語を避けられないと悟る。皮肉に聞こえるのは評者だけなのだろうか。いかに文化的帰属がアイデンティティの確立に大きな影響力を及ぼすか,評者の子どもの経験を踏まえても,また,ますます増えつつある定住外国人子弟の意識を考えても,深い,深い問題を抱えているように思われる。さらなる「本音」を続編に期待する。

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表紙『私も「移動する子ども」だった』『私も「移動する子ども」だった――異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー』

  • 川上郁雄(編,著)
  • 2010年5月10日,くろしお出版より刊 [紹介ページ
  • 定価:1,470円