2011年度終了の報告にかえて――「せかい子ども音読大会」と「移動する子どもたち」

川上郁雄

1.東日本大震災と「移動する子どもたち」

2011年3月11日,東日本大震災が起こった。多くの方が犠牲になったその日,私も仙台の自宅の食卓テーブルの下で,妻とふたりで大揺れの恐怖を体験した。その後,自宅のライフラインが切れ,東北新幹線が止まり,大学へ戻るために上京することができなくなった。その間,私が気になったのは,東北地方で生活している「移動する子どもたち」のことだった。「移動する子ども」(川上,2011)とは,たとえば,海外から日本にやってきた外国人家族の子どもで,家庭で日本語以外の言語を使用し,学校で日本語を学んでいる子どもや,国際結婚した家族の子どもたちである。

文部科学省の調査によると,2010年現在,東北の4県(青森県,岩手県,宮城県,福島県)には「日本語指導が必要な外国人児童生徒」が約250 名いた。これらの子どもたちは,日本人の子どもと同様に震災の被害を受けただろう。その子どもたちは,今,どうしているだろうか。日本語が十分にできずに,状況が理解できず,不安に思っていないだろうか。

2.せかい子ども音読大会

そんな思いから,絵本や詩,物語の世界を通じて子どもたちを励ます企画,「とどけよう!ことば――せかい子ども音読大会2011」(以下,音読大会)を実施した。被災地での音読大会は,社団法人日本国際児童図書評議会(以下,JBBY)と早稲田大学大学院日本語教育研究科の大学院生たちが中心になって準備を進め,地元のボランティア団体とともに運営した。

この音読大会のねらいは,震災で被害を受けた子どもたちのことばの学びと心を支えることだ。その音読大会は以下のような流れで行われた。

まず,雰囲気作りのために,全員でゲームを行なう。子どもたちに人気のある「猛獣狩り」である。この「猛獣狩り」というゲームにはみんなで猛獣狩りに行くという「物語世界」があり,そのイマジネーションの世界で思いっきり声を出して,身体を動かし,心と身体を解放する。そのあと,院生たちが,音読の見本として谷川俊太郎の『わるくち』を動作を交えながら読み上げる。子どもたちは見慣れない音読のパフォーマンスに驚いた表情だ。それから,子どもたちは5~6人のグループに分かれ,ボランティアとともに,それぞれのグループで好きな素材を「素材集」から選び,音読の練習をする。「素材集」には谷川俊太郎をはじめいくつかの詩が掲載されている。その作品の選択は,JBBYの専門家にお願いした。そして,いよいよ音読大会である。各グループが,他のグループの子どもたちやボランティア,子どもたちの親などの前で音読を発表する。メンバーが一人ひとり交代で読んだり,みんなで一つの動作を入れながら読んだり,声や表情,動作の工夫は様々だった。発表が終わると,自分たちの発表と他のグループの発表について,良かった点,好きなところ等の感想を話し合う「振り返り」をする。これが,音読大会の流れだ。

音読大会は,原発事故のため外で遊べないストレスを抱えた福島の子どもたちを2011年10月に山形県米沢市に招き,第一回目が実施され,同年12月には宮城県石巻市で地域の国際交流団体とともに第二回目が実施された。米沢市では福島の子どもたちを中心に16人,石巻市では25人の子どもたちが,ボランティアや親たちとともに参加した。

3.子どもたちの反応と院生たちの学び

この音読大会に参加した子どもたちの様子について,院生たちは次のようにいう。

「音読大会の初め,司会が「音読って知ってますかー?好きですかー?」と問いかけると,子どもたちから「知ってまーす!でもきらい」「つまんなーい」「だって先生が毎日宿題にするんだもーん」という声が上がった。しかし発表後にグループの子どもに「どうだった?」と聞くと,「一人でやる音読は嫌いだけど,みんなとは楽しい」「学校でしている音読と全然違う,こっちの方が楽しい」といった声が聞かれた」(大森・本間,2012)という。

なぜ,子どもたちは「こっちの方が楽しい」と思ったのか。たとえば,『かえるのぴょん』(谷川俊太郎作)をどのように読むかをグループで話し合っていたとき,「ある子どもが,作品中に何度も繰り返される「ぴょん」という表現を指さし,「「ぴょん」のところでジャンプしたら良いと思う!」と明るい声で提案した。そして,それを聞いた別の子どもが「カエルが飛んでるみたいに飛ぶ?」とアイディアを出す。実際に読み合わせの練習がはじまると「文を暗記しましょう!」と,また別の子どもからも提案があった」(大森・本間,2012)。

さらに,「発表のリハーサルでは「もう一回やろう」「まだ練習できるよ」のように,何度も練習をしようとする子どもたちの姿が印象的だった。また,カエルのように跳ぶというパフォーマンスをするために,畳の長さを指で測り,1回にどのくらい跳ぶかを考えていて,時間の限りパフォーマンスの質を上げようとしている子もいた」(大森・本間,2012)という。

これについて,実践者の院生たちは,子どもたちが作品のことばを読み,それを自分なりに理解し,ことばを通して自分のアイディアを他者に伝えようとするという「「他者」との主体的なやり取りを通して,一つの作品を創り上げようとする子どもたちの姿」があったからではないかと述べている(大森・本間,2012)。

もちろん,元気な子どもたちだけではなかった。たとえば,津波の被害の大きかった石巻市の音読大会では,グループ活動が始まると急に泣き出した男の子がいた。声を上げずに,小さくなってこらえようとしていて,その後しばらくすると元通り元気に騒ぎ始めた,という。また,ずっと無表情で何も話さない男の子もいたが,音読大会が終わる頃には,話しかけたら短いことばで答えてくれるようになったという。後でボランティアの方に聞くと,震災でバラバラになった友だちと久し振りに一緒になってうれしかったことと,これまでのコミュニティから切り離されてつらかった経験が思い出されて,心が不安定になっていたのではないかということだった。震災によってもたらされた子どもたちの心の傷はまだ残っていることが実感された。

院生たちは,最後に,「あまりに多くのものが分断された被災地において,子どもたちのことばの学びと心を支え,彼らの成長を繋げていく支援こそ,いま被災地にいる日本語を学ぶ子どもたちにとって必要な支援なのではないだろうか。」(大森・本間,2012)と述べている。

絵本をめぐる実践を通じて,さらに考えていきたいテーマである。

参考文献