ひとこと

相撲文字について

このサイトには,ところどころ相撲文字が使われています。江戸時代,庶民が築きあげたさまざまな文化の特徴を見事に表現し,独特のスタイルを確立した書体のひとつです。

相撲文字は,勘亭流や寄席文字とともに,いわゆる江戸文字と言われる仲間に入ります。これらは,提灯や千社札,さらには当時の火消しが身に着けた半纏に染められており,江戸情緒豊かな趣を醸し出しているところから,粋で力強いイメージが定着しているようです。

しかし,こうした文字には,商売繁盛を願う商人気質も垣間見られます。書体を見ると,心持ち右上がりで,しかも文字自体隙間なく書かれていることに気がつくでしょう。これは,縁起を担いで,商売運も上がり,千客万来,立錐の余地なくお客を招きいれたいと願掛けて,隙間が少なくなるような細工が施されているからです。

相撲文字を採用した理由は,私の研究トピックの一つが,「外国人力士の日本語習得」であるからですが,日本語教育研究において,自らの軸足を模索しながら,強固な意志で研究・教育活動に専念する,多くの優秀な大学院生で溢れかえるような研究室にしたいという願いも込められています。なお,相撲文字,勘亭流,寄席文字のひとくち話は,以下をご覧ください。

宮崎 里司

相撲文字

相撲文字四股名が隙間なく書かれている番付表の相撲文字は,力士同士の激しいぶつかりあいを連想しますが,現在は,行司に課せられる重要な仕事と位置づけられ,字が達者で,立行司や三役行司などの各付上位者の中から,番付を揮毫(きごう)する者が選ばれます。ちなみに,平成12年2月からは,式守與之吉が担当しています。なお,前番付担当者で,立行司の第31代式守伊之助氏のインタビュー記事が,「あの人に聞きたい 私の選んだ道」月刊『進路指導』(財団法人日本進路指導協会刊)に掲載されています。綴られている内容は,正統的周辺参加を具現化した体験記として興味深いものです。

勘亭流(歌舞伎文字)

歌舞伎文字歌舞伎の世界を演出している勘亭流は,江戸中期,安永8年(1779)1月,御家流の書体指南をしていた岡崎屋勘六が,この書体で,中村座新春狂言の看板を書いたところ,大層な評判を博したところから,芝居文字の定番となりました。その後,字体も,勘六の俳号「勘亭」を取って,勘亭流と呼ばれるようになり,字画が内側へ巻き込むように丸味を持ち,隙間なく書かれているのが特徴とされています。現在,岡崎屋勘六は,浅草雷門通りにある墓でひっそり眠っています。

寄席文字

寄席文字人気長寿番組の「笑点」(公式サイト)(日本テレビ系)などでおなじみの寄席文字は,千社札などにも使われていますが,天保年間(1830~1844),神田の紺屋職人の英次郎なる人が,チラシ(ビラ)を頼まれて書いているうちに,勘亭流と提灯文字を基にして,特有の書体(ビラ文字)を生み出したというのが寄席文字の起こりだそうです。