隣の国の言葉を学ぶ
櫻井惠子
※季刊「日本語情報誌Ja-Net」29 (スリーエーネットワーク刊)より転載。
1. 「冬のソナタ」ブーム
韓国のドラマ「冬のソナタ」が日本で大ヒットしている。
このドラマは初恋の純愛物語りを美しい画面と音楽を背景に描き多くの日本人に感動を引き起こし,この4月からNHKの地上波でも放送が開始された。 本屋の店先にはドラマのシーンのスチール写実の広告が大きく張り出してあり,台本が本になってうずたかく積み上げられている。 ドラマのDVDの発売,韓国語のオリジナルのインターネット販売,このドラマのロケ地を解説する観光ガイドブックの発売や観光'旅行など,このドラマは韓国ブームの火付け役になっている。
知り合いの日本の大学の教授のお連れ合いも最近韓国語を勉強しようと軽国語のクラスにいったところ,そのクラスに来ているかなりの人が韓国のドラマを韓国語で直接見たいために韓国語を習いはじめたのだという話を聞いてびっくりした。 確かに人気の男性俳優ペ・ヨンジュンは吹き替えの声優よりもっと低音でしびれる声だし,台詞も韓国語と日本語ではちょっとニュアンスが違う。 ドラマが見たいというのも言葉を習う学習動機になりうるのだなあと実感した。 日本の新聞を見たら「あの人の国をもっと知りたい-韓国-」という雑誌の広告がでていてまたびっくり。 「あの人」とはペ・ヨンジュンのことで彼のことをもっと知りたいがために韓国のことを知る,そういう入り方もあるのか。 いままで全く韓国のことについて知らなかった普通の人(多くは30代40代50代の女性)がドラマを入り口にして韓国や韓国語に関心を持ち始めるのを見て大衆文化の持つインパクトの大きさに驚いている。
一方,韓国では2004年の新年を期して日本の大衆文化の開放の最終段階として日本語の歌手のコンサートやCDの販売の自由化,日本のドラマのケーブルテレビ(公共放送ではまだだめ)での放映ができるようになった。 今,日本語を勉強している韓国の学生たちはケーブルテレビで毎日放送される日本のドラマ漬けになっている。 当初日本語が直接茶の間に入るのは認めない方針だったのに,ここにきてケーブルテレビでは吹き替えではなく字幕で日本のドラマが放送されており,日本語を聴きながらドラマが楽しめるようになったわけだ。 学生たちはいままで日本のドラマが見たくて蜜に群がるアリのように日本のドラマのビデオを探し求めていた。 学院といわれる日本語学校ではドラマを休憩室で放映したり貸し出すサービスをしていたし,インターネットの「日本のテレビ」というカフェに加入すれば(加入者は100万人を超える!)日本のドラマをダウンして見られるとか,日本に友達がいる人はビデオを送ってもらったり色々苦労していた。 裏の手段を通じてではなく,今回晴れて日本のドラマや歌が聴けるようになったのだ。 日本と韓国との大衆文化の開放は互いの言葉を習いたいという動機を誘発し,言葉を通して隣の国の文化と人びとに対する理解をさらに深めることにつながる。
2. 相互交流の増大
大衆文化だけでなく2002年のサッカーのワールドカップの共同開催を契機として人々の相互交流も飛躍的に増加している。
今年の2月には日本の国技といわれる大相撲が来韓した。15万ウォン(約1万3千円)という高い入場料にもかかわらず大入りで,山のように大きい力士が瞬間的に勝負を決める速攻に歓声が沸き,特に韓国出身の春日王(本名金成滞)にはひときわ声援が高かった。 スポーツばかりでなく日本からの観光客も増えている。 明洞(ソウルの目抜き通り)は日本の観光客むけの日本語の看板や食堂のメニュー版が目に付く。 昨年のSARS 騒ぎで観光客が日本から来なかったときには観光業界は青息吐息だった。 逆に昨年福岡-いく機会があったがこちらでは案内が韓国語で表示されていて韓国語が上手に話せる人が多くて驚いた。 日本と韓国は相互依存関係にあるのだ。 日本の高校生の韓国への修学旅行や姉妹校提携も増加しており,韓国朝鮮語授業を開設する日本の高校が増えている。 韓国では2001年から第7次教育課程が実施され,中学生から選択科目として日本語が履修できるようになったし,高校ではいままで第二外国語の選択は学校単位であったものが,生徒個々人の選択に移されることによって日本語の履修者が増えることが予想されている。 そのためドイツ語やフランス語の教師を1年間の集中的コースで日本語や中国語の教師に転換するプログラムが実施され,そのような教師たちがもう教壇に立っている。
大学では日本の大学と協定を結び学生を交換留学させる動きが活発になっている。 これまで韓国から日本の大学に行きたい学生は多かったが日本から韓国に来る交換学生は枠に満たない場合が多かった。 しかしワールドカップ以後,韓国に留学したい日本の学生が一気に過去の累積した枠を埋める形で来韓している。 韓国語を教える大学付属の外国語研修所も盛況だ。 今の若者は面白いと思ったらもう次の年には韓国に留学に来ている。 その行動の迅速さは旧世代のわれわれから見るとうらやましくもあり時にはあまりに準備がなさ過ぎて心配にもなる。
国際結婚も増えている。人びとの直接的な出会いのチャンスが増えているからであろう。 日本と韓国の国際結婚をしたカップルは年代別にサークルを作っていて,特に若い世代はホームページも持っていて悩みを話したり助け合ったりしている。 最近目立つのはアメリカやカナダ,オーストラリアなどに語学研修や留学などで行っていて出会い,結婚するケースだ。 隣にいるときは違いばかりが目立ち心理的にも遠かったのに,外国に出てみるとお互いに一番似ていて親近感を感じるのかも知れない。 このような国際結婚から生まれた2世の継承語の問題も今後の興味ある研究課題である。
その他ワーキングホリデーやジェットプログラム,生協運動や環境運動,自治体の姉妹都市締結による公務員の相互派遣など交流は草の根のあるゆる分野にわたって広がっている。
3. 隣の国の言葉を学ぼう
筆者は1995年から日韓合同授業研究会という日本と韓国の小学校から大学までの教員の交流活動にかかわっている。 歴史教育や環境,文化交流など日本と韓国で同じテーマで授業をし毎夏どちらかの国でそれを報告しあう集まりを持っており,今年で10年目になる。 筆者も日本の大学で韓国語を学んでいるクラスと韓国で日本語を学んでいる筆者のクラスとでビデオレターを交換しており,とてもいい成果がでている。 環境教育は中国で発生した黄砂がこの地域全体に飛んできて被害を及ぼし,同じ渡り鳥の渡来地になっている状況があるので一番進んでおり,中国も含めたこの地域の環境に関する共同の教材を開発している。 日本と韓国だけではなく中国も一緒にこの地域の問題を考えて行こうとする姿勢だ。 それに比べて歴史はなかなかむずかしい。 ナショナリズムが壁になっていて議論はしばしば対立し,なかなか前に進めない。 ドイツとポーランドのように共通の歴史教科書が作れるようになるのはいつの日だろうか。 しかし,最近韓国でも国史批判が出てきたし,日本でも国語学会が日本語学会に変わると聞いた。 やっとナショナリズムの呪縛から解放される兆しが見えてきた。 双方の国の先生達がはじめて生身の相手に出会い,対話を通して心を開き,いままで持っていたステレオタイプが崩され変わっていく姿を目の当たりにすると,交流の持つインパクトの大きさに改めて驚く。 最近は交流会のときお互いの言葉で自己紹介することになっているし,共同のテーマで授業をし,メールでお互いの意見を交換したり,生徒を連れて相手の学校を訪問したりしてさらに面白くなってきた。
ここ何十年間この地域は冷戦構造や国家ナショナリズムの障壁のため国境を越えた自由な往来や相互理解ができにくかった。 むしろ,近代以前の束アジアはもっと自由に人が行き来し,言葉も自然に習っていたようだ。 また,ヨーロッパや地続きの国々の国境の付近では互いの言葉を話すことが当然のようになっている。 隣の国の言葉を学ぶのはごく自然なことではないだろうか。 まして日本語学習者が一番多いのもこの地域なのだから日本語教師は韓国語,中国語ができて当たり前だと思う。 隣の国の言葉なんだから。
- 櫻井 惠子(さくらい けいこ)
- 韓国仁荷大学日語日本学科副教授,韓国日語教育学会理事,韓日合同授業研究会顧問
- 研究分野は日本語教育学
- 著書: 『スターティング日本語初級』 (共著,日本語バンク)
※櫻井 恵子 先生は,2003年度特別研究員として,言語習得研究室においでになりました。