渋谷区立神南小学校 日本語国際学級見学報告

日程2002年2月19日
場所渋谷区立神南小学校
引率宮崎里司
参加者朴淳芽(吉岡研究室)・原田明子(宮崎研究室)・福島青史(川口研究室)

記録者:福島青史(川口研究室)

1. 見学機関データ (2002年2月19日現在)

機関名渋谷区立神南小学校日本語国際学級
住所〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町5-1
機関代表者川井得三(神南小学校校長)
日本語教諭矢崎満夫 濵村久美
機関設立年1995年
現児童数18名 (関連国内訳) モンゴル・中国・スリランカ・ミャンマー・タイ・イギリス・韓国
見学クラス5年生2グループ(各1人)
クラス担当教員矢崎満夫 濵村久美

2.神南小学校日本語国際学級について

A.機関の沿革

1995年 4月
日本語通級指導学級として渋谷区立渋谷小学校に設置
1995年 7月
日本語国際学級開級
1997年 4月
渋谷区立神南小学校へ移転

B.国際学級の実施状況

クラス形態(自由)

取り出しクラス (在籍学級担任との相談で通級時間を決める。)

神南小内の児童は,在籍学級の国語・社会の時間を中心に通級。日本語初期の児童の場合,45分授業を週5・6回行う。日本語力がかなりついてきた児童は,在籍学級の授業に全部参加させ,放課後に通級する。

神南小以外の学校から通級する児童は,クラブ活動や体育・図工などの実技的な教科のある日をさけて,1・2校時又は5・6校時にあたる時間に通級する。(原則として1回90分,週2~3回)

来日当初は多めに通級指導を行い,児童の様子を見ながら徐々に通級時間数を減らしていく。

通級児童数

18名 (他の小学校から通級する児童もいる)

指導内容

児童の実態や保護者,在籍学級担任からの要望,滞在期間に合わせて設定する。(日本語・教科学習支援等)

日本語支援に対する基本的な考え方

言葉は,日常生活を営み,人間関係を構築し,学力を高めていくための手段である。最終的には,自分の環境を居心地のよい空間にしていくための道具であり,これが達成されれば勉強に対する動機付けへともつながっていく。反対に,学級内の友人たちとコミュニケーションがうまくとれなければ,学習意欲も減退する。

C.国際学級の教育方針

保護者,在籍学級担任との連携とともに,外国人児童・帰国児童に対して個に応じた日本語指導及び教科指導を行う。

日本人児童との交流を通して,日本の学校生活への円滑な適応を目指す。

自国の言語・文化の保持に努め,国際社会の一員としての意識向上を図る。(以上3項目は『日本語通級指導学級要覧』より抜粋)

上記以外にも,在籍学級担任と連携し,クラス内の他の日本人児童の変化も促し,相互理解の場を作る。

D.教科書・教材について

各種絵カード,ゲーム・自主作成教材・『日本語学級 1』 ・『ひろこさんのたのしい日本語』など

F.国際学級の課題と取り組み

現在の取り組み

異文化をもった児童に対する関心を持つよう,日本人児童にもはたらきかけ,よりよい人間関係を作っていってもらいたいと考えている。

外国人児童・帰国児童がクラス内で孤立しないように,在籍学級担任と連携して指導にあたる。

児童によって教科学習の問題,人間関係の問題等,様々な個別的対応が必要である。

3.見学者報告

A.見学クラス概要

クラス見学

5年生(モンゴル)2人。滞在歴がちがうので,それぞれ別の教師とマンツーマンのクラス。

授業内容

もっと小さな部屋を想像していたが,明るくて広い(普通の教室サイズ?)ひらがな表をはじめ,地球儀,地図,カレンダー,各国の人形などが置いてある教室だった。

自作の漢字カード,市販教材のひらがなカード,動詞カードなどフルに活用してゲーム感覚でこどもたちを飽きさせないように工夫して授業を行っていた。5年生の女児は,漢字も意欲的に勉強していた。来てまだ10日足らずの男児もひらがなは読めたし,恥ずかしそうではあったが,我々に質問するタスクを一通りこなしていた。

後半は「一緒に遊ぼう」ゲームだった。これは教室で孤立させないことを第1に考えている教師の意向を良く表していると思った。友達への働きかけの言葉は確かに重要だと思う。何度も口に出して練習しておけば,実際の場でしないよりずっと言いやすいと思われる。

教師の児童への話しかけの言葉は,とても自然な日本語だった。また,「集めて,数えて,消しゴム出して…」など先生がよく使う指示語(教室用語?)を会話の中にもたくさん織り交ぜているように感じた。

挨拶のしかたをきちんとさせているように見られた。(はじめの自己紹介,帰るときの挨拶など)

B.見学者感想

朴淳芽

私が学校の授業見学において注目していることは,「児童の表情」である。児童がどのように授業に参加しているか,楽しんでいるか,集中しているか,目が輝いているか,ということである。なぜなら,子どもは正直である。おもしろい授業には食い入るような目つきで授業に集中するが,そうでない場合はそれが表情に表れる。今回,私が神南小学校の授業見学を通して受けた印象は「子どもたちの目が輝いている。」ということであった。これは授業が功を奏しているということであると,私は捉えている。では,なぜ,子どもたちの目が輝いているのか。その秘訣は授業にあると思われる。何よりも教師の授業準備,そして熱意あふれた授業運営。ここにこそ,生徒の目を輝かせる秘訣がある。私の率直な感想からしても授業が非常におもしろかった。おもしろいだけではなく,きちんと日本語も学ぶことができた。「日本語を学ぶ」ということをあまり意識させない,意識せずに学ぶことのできた授業だったと思う。

<教科学習と日本語教育を統合した内容重視のアプローチによる学習支援状況>

正直なところ,教科学習と日本語教育を統合した内容重視のアプローチといって私が思い描いていた授業は,算数や理科,社会の教科書を用いて,各自がわからない単語なり言い回しなりを説明したり,学習するものであった。しかし,今回私たちが見学した授業はそういう類のものではなかった。それは来日して日の浅い学習者・児童であったということだけではない。私がイメージしていた教科学習と日本語教育を統合した内容重視のアプローチによる学習支援とは,狭義のものであったということをとても痛感した。実際には,教科支援はもちろん,人間関係・ネットワークまでをも支援するようなプログラムになっているのである。つまり,日本語教育が教科学習ばかりでなく,児童・生徒の学校生活までをも念頭に入れた内容重視のアプローチになっているのであると思われた。それは児童・生徒が学校生活にて,日本語が分からないために孤立するということがないようにとの配慮からくるものであると同時に学校教育の現状をきちんと把握しての対策と思われる。

「クラスでの居心地がいいように」ということを中心にした学習支援は,年少者の日本語教育を考えていく上でとても重要なキーワードであると思われた。

各個人に見合ったカリキュラム,コースデザインの組み立ては来日時期や状況,レベルの違う児童・生徒の学習を支援する上でとても重要なことに思われた。現在の日本語教育における教室場面(主に成人の予備教育)でこのような綿密な個人指導がどこまでできるか,どこまで応用できるのか期待される。

学校教育という枠組みの中で,どこまで日本語教師が役割を果たせるのか,教師間における連携はとても重要に思われた。「教科支援」のなかで,いわゆるできない子に対して,それを日本語によるものだとして見なすのか,学力的なものとして見なすのか,情緒的なものとして見なすのか,とても難しい問題であるが,一番,力を注いで解決していくべきである問題であると思われた。

疑問として思われた点は児童の母語保持教育である。母語保持を家庭のみに託しているのか,それとも(地域などの)支援団体との連携を持っているのか,家庭との連携をどのようにとっているのかという点である。

最後に,休み時間に来日半年の女子児童と雑談を交わしたが,彼女が言うに,学校がおもしろいとのことであった。掲示板に貼ってある友だちのことをいろいろと私に話してくれたが,とても来日半年とは思えない口振りであった。楽しそうに話す彼女の表情を見て,私は年少者の日本語教育の重要性を再認識した。外国人児童・生徒にとって,日本語教育は学校生活を円満にしていく潤滑油のような役割なのであると思った。

原田明子

教師がこの国際学級をどう捉え,どう進めていこうとしているかについて

日本語が目的ではない,これは公教育の指導内容に基づいて行っているものと言っていたが,やはりここが大人の学習と違うと思った。彼らは日本語で教科を学び,基本的学力をつけていくべき児童であり,出来るだけ早く教科学習へと移行させていくことが必要なのだろう。また,教室の中に自分の居場所を早く作ってあげたい,居心地がいいことが大切で,そうすれば勉強しようという動機付けにもなるとの意見も,その通りと思った。これは外国人児童に限らず,転校した日本人児童でも同じことが言えると思う。友達とうまくやっていけるか,クラスにとけ込めるかというのが親や担任の一番の関心事となる。ある意味,子供はストレートで残酷だから,関心を持たれない存在,無視される存在になると,完全に孤立する。誰も助けてくれない,働きかけてくれないとなれば誰だって学校へ来たくなくなる。そう言う意味で日本語は,まず友達と関わりを持つコミュニケーションの手段として存在するというのは,大人以上に子供にとっては死活問題になるのではと思った。

教科支援について

算数と国語は国際学級で支援するといっていたが,確かに小学校の理科や社会(高学年)は授業で教えてこそ意味を持つものが多いので,それだけを取り出して国際学級で行うのは難しいだろうと感じた。サブマージョン方式で学んでいるうちに日本語力が急速に伸びる児童もいると思われる。

小学校と中学校との連携について

日本人でさえ,子供が小学校から中学へ行くとその落差に愕然とする。ゆとりの教育は小学校までで,中学校は一転して偏差値の世界となる。公立であっても小,中学校の先生の間には交流はない。 子供をトータルで見ていく,みんなで見ていくという姿勢は外国人児童に限らず,必要だと思う。日本語力が足りない,異質な存在である外国人児童にはなおさら必要だろう。

指導における留意点

教師が国際学級の児童に対して指導上,最も気を付けていることは「教室の中で子供を孤立させない」ことだという。日本人の児童から関心を示されず,無視された状態に置かれると次第に感情が消え,心を閉ざしていってしまう。だから,教室の中に自分の居場所を作り,居心地がよくなることが大切で,そうすれば勉強しようという動機付けにもなると言う。

また,ここは公立小学校なので学習指導要領に基づいた公教育の場であり,日本語は目的ではなく手段として捉えている。特に友達と関わりを持つコミュニケーションの手段として重要である。

しかしはじめから教師にこのような教育観があったわけではない。日本語や教科支援を中心に行うなどの試行錯誤を繰り返しながら,このような方向へ行き着いたそうだ。こうした教師の教育観を反映して,実際に見学した授業の中では友達への働きかけを重視したゲームを行っていた。「一緒に遊ぼう」と言って相手を誘い,「うん,いいよ」と答えるゲームである。何度も口に出して練習することで,実際場面での使用もイメージでき,スムーズに友達に声かけができるようになるのであろう。

更に,外国人児童が日本語に興味が持てるような工夫を心がけているという。ゲーム感覚でする活動を授業の中に多く取り入れているのもその一つだろう。子供の場合,関心を持つと集中力も増し,急激に進歩を見せることがある。そして自分が受け入れられていると感じれば,安心して物事に取り組むことが出来る。彼らの国の言葉を日本人児童に紹介する活動も,自分たちの国への関心を高めることになるので,そう言った面からも意味がある活動だと言えるだろう。

福島青史

日本でも永住から一時的な滞在まで様々な形で外国人児童が小学校に在籍することになる。見学した児童はモンゴル大使館の職員の子どもで,3・4年で帰国する児童である。

見学した児童二人は来日半年と二週間の2人であるが,来日半年の児童は話しことばはかなり知っているようで,クラスでは「です・ます」のスタイルを習得しているようであった。来日二週間の児童は挨拶のほかはほとんどわからないようだったが,二人の対照は児童の言語習得の速さを物語るものであった。

長期滞在者とは違って大使館員の子弟のように2・3年で生活環境が変わる児童もまた違った問題を持っているものと思われる。この対応には担当日本語教員は「ニーズに応じて」と言っていたが,相当のバリエーションがあるものと考えられる。これらは今後の報告が待たれるところ。

これら増加する外国人児童・帰国者児童に対してどのような対策を国,または地方自治体が取っているのかを聞いてみると,自治体によって実に様々な対応があるとのことだったが,渋谷区では日本語支援に関して次の三つのパターンがあるとの回答を得た。

<通級指導制度>

特定の学校に日本語教室を設け,近隣の学校に在籍している日本語を必要とする外国籍の児童・生徒を通級させるもの。(神南小学校国際学級がこれにあたる)

<加配教員制度>

学校内に5人以上日本語指導が必要な児童がいると,1人,日本語指導のための教師が配置される。日本語教育はその学校の児童だけを対象に行われる。

<訪問指導>

区の嘱託教員が各学校を廻り,日本語指導を行う。

『外国人児童の受け入れとその教育を取り巻く問題についての総合的研究』で母語保持のケアについて「手がまわらないのが現状」とあったが,児童の母語のケアも問題となっていくだろう。