言語管理と脳の言語処理過程――事象関連電位(ERP)を使った日本語学習者のカタカナの表記逸脱研究
村岡英裕(編) 2004 接触場面の言語管理研究 3 社会文化科学研究科研究プロジェクト報告書 104 千葉大学大学院社会文化科学研究科 pp.91-105.
A process of language management in the brain — An empirical research on deviation of katakana expression by Japanese language learners using event related potentials (ERP)
宮崎里司(早稲田大学日本語教育研究科)
小山真希子(同研究科修士課程卒)
小暮良幸(同修士課程)
Abstract
The aim of the study is to identify a process of language management in the brain in comparison of event-related potential (ERP) indicated by native speakers and non-native speakers of Japanese focusing on how Japanese language learners can note information obtained from both auditory and visual katakana stimulus. The research findings indicate that there are some significant differences between native speakers and non-native speakers of Japanese in the management of katakana in the brain. For further development of Japanese language teaching and acquisition study, in order to increase hearing competence, it was suggested that more integrated activities such as visual confirmation task and re-production task should be introduced in language learning strategy training.
要旨
本稿は,外国人日本語学習者(Foreign Speakers of Japanese: FS)と日本語母語話者(Native Speakers of Japanese: NS)による,カタカナの聴覚及び視覚認識タスクによって発生した事象関連電位(Event-Related Potentials: ERP)を比較し,脳の言語処理過程を検証し,言語習得研究において,新たな内省的方法論の確立に向けた,一連の研究のパイロットスタディである。前回の実験(宮崎2003b)で行われた課題を踏襲しながら,カタカナ語彙の視覚刺激及び,視覚・聴覚による言語処理過程との比較を試みるとともに,調査対象者を統一することにより,新たな分析が得られ,かつ今後の発展研究に向けた課題も整理された。また,前回の研究からは,日本語教育への応用として,聴解力を向上させるためには,視覚情報の提示による確認や,処理された情報を,表記によって再生するトレーニングを総合的に組み合わせる活動の意義が改めて確認された。
1 はじめに
本稿は,これまでの内省的方法論の展開に向けてデザインされた,生理学的検証の意義を問う,脳の言語処理過程の一連の研究として位置づけられるものである。接触場面において,インターアクション問題が起こった場合,参加者による言語意識(逸脱,留意,評価に加え,調整行動)を分析ならびに詳述するアプローチ(ネウストプニー 1995)は,今後も言語管理研究の基幹となるが,調査協力者の内省分析を採り入れない調査研究は早晩限界が来る(cf. Neustupny1990)と予想される。近年接触場面での詳細な調整プロセスが明らかになるにつれ,内省調査の方法として,フォローアップ・インタビューやインターアクション・インタビューをはじめ,さまざまな方法論が導入され,深層部分のディスコース分析を可能にする問題分析の意義が認知されはじめている。とくに,フォローアップ・インタビューは,接触場面研究で最も功績を挙げた方法論のひとつとして評価されているが,調査対象者によって,内省能力に差があったり,年少者などのように,実施が困難になる場合もある。また,発話者は,言語処理の過程で起きるインターアクション問題について,常時意識化できるわけではないといった課題も指摘され,すべての研究課題に即しているわけではないため,他の内省的方法論の採用が喫緊の課題となりつつある。今後,接触場面における,ミクロレベルの言語処理過程を検証する場合,これまで開発された研究方法だけでは,新たな視点が捉えきれず,問題分析の解明も不十分になる可能性があるが,学際的見地から,他の学問分野で採用されている方法論にも注目すべきである。そうしたなか,最近,生理学的手法を用いた内省調査が注目されつつある。例えば,高(2002)や鈴木(2002)では,話し手が意識しない言語行動を解明する方法として,アイカメラによる話し手の視線や眼球運動を調査する方法論の意義に言及している。アイカメラによる眼球運動の軌跡の検証は,元来,人間工学,医学,心理学関係で幅広く応用されてきた方法論であるが,言語習得研究でも,インターアクション分析に関する新たな可能性を示唆している点で興味深い。さらに,別の生理学的方法論として,無数のニューロンから構成される脳内の言語処理過程を,事象関連電位(Event-Related Potentials: ERP)を用いた解明が試みられている(Kutas & Hillyard 1980;1983, 平松1994,中込1994,城生1997,今田2000)。ERPは,大脳誘発電位の一種で,認知活動に伴い,大脳皮質において発生し,ある刺激が入力された後,一定時間後(または,潜時)に,その刺激に関連をもって発生する脳波を指す。具体的には,潜時約300msec(0.3秒)で発生する陽性(Positive)のERPをP3,またはP300,潜時約100msec(0.1秒)で発生する陰性(Negative)のERPをN1,またはN100などと呼ぶ(図1参照)。
図1 脳波の種類と潜時 |
ERPによる検証は,脳の情報処理活動における時間的経過を瞬時に捉える点が優れているとされるが,日本語教育においては,これまで,宮崎(1999,2000,2003a,2003b),小山(2003),宮崎・小山(2003)などの一連の研究で応用されてきた。宮崎(1999)では,NSとFSに,正常な漢字と表記を逸脱した漢字を視覚刺激によって提示し,脳の言語処理過程で現れたERPを,潜時,振幅及び反応時間について分析した。その結果,FSは漢字を表記すなわち形として捉え,NSはそれを意味として捉えるという推測され,その結果,FSとNSは漢字判読の情報処理過程が異なることが示唆された。同じく,宮崎(2000)では,FSのカタカナ表記逸脱に関する言語処理過程を考察し,N2とP3の頂点間振幅が,FSの習得過程を電気的に判断しうる指標となること,また同時に,FSとNSでは,カタカナ判読の情報処理過程が異なることが検証された。さらに,小山(2003)では,日本語音声の習得について,長音知覚に関わる問題を,ERPを用いて,脳において長音の知覚がNSとFSでどのように異なるかを考察し,NSとFSでは,異なる脳波反応が見られるとともに,聴解においては,NSとは異なるストラテジーを使用していることが明らかにされた。宮崎・小山(2003)では,宮崎(1999),宮崎(2000)の表記逸脱に関する実証研究を受け,意味及び時制の逸脱に焦点を当て,どのようなERPが観察されるのかを検証した。その結果,語彙,時制の課題とも,FSでは,P3以降,緩やかな右肩上がりの波形を示しているのに対し,NSではP3以降に再び顕著な陽性波が現れ,W型の波形を呈していたことが判明した。
次に,宮崎(2003a)と(2003b)はともに,カタカナを分析対象とした研究である。まず,宮崎(2003a)は,カタカナ文字自体の逸脱を標的刺激とした,宮崎(1999)と異なり,FSがよく間違えるとされる長音の音節部の位置を移動させる表記の逸脱に対して,ERPがどのように出現するかを検証した。その結果,カタカナ刺激では,全員にN1,P2が出現したが,N2とP3については,NS及び2名のFSにも観察され,NSと類似したW型を呈する波形が観察された。宮崎(2003b)では,2003aの検証課題を発展させ,カタカナ語彙の聴覚・視覚刺激で逸脱が起こった場合,どのようなERPが検出されるかに注目した。これは,聴覚刺激による情報がインプットされた後,視覚刺激による同一または類似の情報が提示された場合,調査対象者に,どのようなERPが出現するのかを観察するという調査目的があった。視覚刺激による同一または逸脱したカタカナ語彙が提示された場合,どのようなERPが出現するのかを観察した結果,NSとFSのERPには,有意差が検証できた。しかしながら,宮崎(2003b)でデザインされた実験では,カタカナの視覚刺激だけに注目した宮崎(2003a)とは異なり,カタカナ視覚刺激に,カタカナ視覚・聴覚刺激実験を加えたが,調査協力者は英語母語話者が中心であったため,他の母語話者の集団で,同様な実験をデザインし,その結果の再検証を図るとともに,より精度の高い実験結果を求める必要があると判断された。本稿は,こうした点を反映した実験をデザインし,今後のERP研究の比較データとするために,FSを,韓国人上級日本語学習者に統一し,あらためて,カタカナの視覚ならびに聴覚実験を行い,言語管理研究の中で内省的方法論を確立していく可能性を検証するものである。
2. 方法論
2.1 調査協力者
宮崎(2003b)のリサーチデザインを基本に,視覚刺激ならびに,聴覚との関連性を検証するための実験課題を構築した。調査協力者として,実験グループは,早稲田大学の,留学生別科日本語専修課程に在籍し,韓国語を母語とする,上級レベルのFS6名(20~30代の学部・大学院生で,全員女性,右利き健常者)と,統制グループであるNS3名(20~30代の大学院生で,女性2名,男性1名の右利き健常者)に協力を依頼した。詳細は以下の通りである。
性別 | 年齢 | 母語 | 別科・大学院 | 日本語学習歴 | 自己評価 | 主専攻 | 右・左利き | 喫煙習慣 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
FS1 | f | 27 | 韓国語 | 別科 | 3年 | 上級 | 韓国文学 | 右利き | なし |
FS2 | f | 23 | 韓国語 | 別科 | 3年10ヶ月 | 上級 | 新聞・放送学 | 右利き | なし |
FS3 | f | 21 | 韓国語 | 別科 | 3年 | 上級 | 経営 | 右利き | なし |
FS4 | f | 36 | 韓国語 | 大学院 | 4年 | 上級 | 日本語教育 | 右利き | なし |
FS5 | f | 28 | 韓国語 | 大学院 | 4年 | 上級 | 日本語教育 | 右利き | なし |
FS6 | f | 30 | 韓国語 | 大学院 | 4年 | 上級 | 日本語教育 | 右利き | なし |
性別 | 年齢 | 母語 | 別科・大学院 | 日本語学習歴 | 自己評価 | 主専攻 | 右・左利き | 喫煙習慣 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ns1 | f | 31 | 日本語 | 大学院 | - | - | 日本語教育 | 右利き | なし |
ns2 | f | 27 | 日本語 | 大学院 | - | - | 日本語教育 | 右利き | なし |
ns3 | m | 33 | 日本語 | 大学院 | - | - | 日本語教育 | 右利き | なし |
2.2 データ収集の手続き
実験に先立って,調査協力者には,検査内容について充分な説明を行なった。実験課題として,ERPが明瞭に記録しやすく,かつ2種類のカテゴリーに属する複数の視覚刺激をランダムに提示し,低頻度刺激を標的として注目及び弁別させるオドボール課題を採用した。まず,コントロール(統制)データとして,言語的要素の少ない2種類の画像刺激(正面を向いた猫と後ろ向きの猫のイラスト)を用い,正面を向いた猫を低頻度標的刺激と,後ろ向きの猫を,高頻度非標的視覚刺激に設定し,総刺激回数70回のうち,7(49回):3(21回)の割合で提示した。調査協力者は,コンピューターの画面上に映し出される画像を見て,低頻度(標的)刺激が出現したら,手元のボタンを押すように指示を与えた。なお,画像刺激の提示時間は500ms(0.5秒)で,ある刺激から次の刺激提示までのインターバルは2000ms(2.0秒)に設定した。
図2 高頻度非標的刺激の例 |
図3 低頻度標的刺激の例 |
次に,FSとNS全員に,第3シラブルが長音になる,7種類の4文字カタカナ語彙(例:スポーツ,レコードなど)の正常表記グループを聴覚刺激し,同時に,その語彙の正常表記および逸脱表記(例:レーコド,メトール)が混在したグループを,MultiStim for Windowsを使用して,ノートPCのディスプレイ上にランダムに提示した。調査協力者には,聴覚刺激と,視覚刺激が不一致の場合のみ,手元のボタンをクリックするように指示したが,「音声データが常に正しく,その視覚映像は,正誤が混じりあう」といった情報は事前に提供しなかった。高頻度刺激と低頻度刺激は,それぞれ70%(35回),30%(15回)の割合で提示された(総刺激回数50回)。
視覚刺激一覧 | 頻度(%) | ||
---|---|---|---|
低頻度刺激 (Rare) | 1 | アーパト | 6 |
2 | デーパト | 6 | |
3 | メトール | 6 | |
4 | レーコド | 6 | |
5 | スーカト | 6 | |
高頻度刺激 (Frequent) | 6 | アパート | 10 |
7 | デーパト | 10 | |
8 | メートル | 10 | |
9 | レコード | 10 | |
10 | スポーツ | 10 | |
11 | スプーン | 10 | |
12 | テーブル | 10 |
タスク環境は,実験課題が明瞭に見えるよう,ディスプレイから調査協力者までの距離を50センチ程度に設定した。カタカナ語彙の視覚刺激の提示時間は,1000msec(1.0秒),インターバルは3000msec(3.0秒)に設定し,一方,カタカナ語彙の聴覚刺激は,800msec以内で収まるように調整した。その場合の視覚刺激の提示時間は,1000msec(1.0秒),インターバルは3000msec(3.0秒)である。取り込み装置は,メディカルシステム研修所内に設置された,脳誘発電位測定装置(Synax2104)を用い,脳誘発電位測定装置によって,基準電極からの導出で得られた陰性(N波)・陽性(P波)を平均加算し,刺激後どれぐらいの時間で誘発電位が発生したかを示す潜時を計測した。なお,周波数帯域は,0.05~50Hz(LFF0.05Hz,HFF50Hz)に設定した。装着する電極の配置は,国際脳波学会の標準方式である10/20法に準拠して装着するのが一般的であるが,本実験では,すべての電極の装着はせず,Cz(中心領)に取り付けた。同時に,ERPは,眼球運動によるアーチファクトの影響を受けやすいため,測定の信頼性を上げるために,眼球近くの眼窩上縁と呼ばれるEOG(眼窩上縁 (がんかじょうえん) )の場所にも電極を設置した。ボディーアースはFpz(前頭極部中央)に,基準電極は両耳朶に装着した。代表的な装着位置としては以下の4箇所である。
- 記録電極 前頭(Frontal:Fz),中心領(Central:Cz),頭頂(Parietal:Pz)
- 基準電極(連結)両耳朶(りょうじだ)(Auricular:A1,A2)
- ボディ・アース 頭頂極(Frontal pole:Fpz)
- EOG 眼窩上縁
図4 10/20法による電極装着位置 |
刺激提示装置は,LaVieNXで,Multi Trigger System ver.2.05をWindows 2000上で使用し,各画像刺激を同コンピューターの画面上に提示した。なお,統制,実験課題とも,遂行に当たって,アーチファクト(目的とする脳波以外のもの)をできる限り除去するため,画像が提示されている間,調査協力者は瞬きをせず,静止するように指示した。実験終了後,実験で使用されたカタカナ課題が正確に表記できるかを確認するため,脳波実験にも使用した,4モーラの有意味語のカタカナ語彙(8語)を,録音テープで聞かせながら筆記をさせ,FS全員から正解を得た。課題となったカタカナ表記は以下の通りである。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
アパート | デパート | メートル | レコード | スカート | スポーツ | スプーン | テーブル |
3 結果と分析
本実験では,N1とN3の潜時に注目し,波形と照らし合わせて潜時を計測したため,一般的な計測値と比較すると,N100がN1に,N200がN2,あるいはN3となる。画像刺激(猫のイラスト)を用いた統制課題では,標的(低頻度)課題,非標的(高頻度)課題ともに,P3相当の波形が出現した。また,FS,NS間,高頻度,低頻度間ともに潜時の有意差は認められなかった。さらに,P3の波形に至るまでの波形の軌跡は,NS全員がN2でのピークが確認されたが,いずれもN1-N3(またはN2)間の潜時に有意差はなく,刺激入力に対する受動的な入力波形としてとらえてよいと判断された。また,今回の統制課題で採用した画像刺激は,これまでも採用されてきたものであるが,NS,FS間に有意差が認められなかったので,今後も統制課題の基礎資料となりうると判断できる。太線は標的刺激,細線は非標的刺激のERP波形を指す。
グラフ1 NS3の画像刺激(Czは記録電極の中心領) |
グラフ2 FS4の画像刺激 |
N1 (N100) | P1 | N2 | P2 | N3 (N200) | P3 (P300) | N4 | P4 | N3-N1 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NS1 | 標的 | 112 | 148 | 248 | 352 | 612 | 136 | |||
非標的 | 108 | 164 | 228 | 404 | 628 | 120 | ||||
NS2 | 標的 | 84 | 164 | 212 | 328 | 128 | ||||
非標的 | 116 | 224 | 332 | 456 | 108 | |||||
NS3 | 標的 | 92 | 108 | 128 | 200 | 244 | 364 | 464 | 572 | 152 |
非標的 | 92 | 112 | 136 | 172 | 220 | 388 | 596 | 620 | 128 | |
平均 | 標的 | 104 | 240 | 383 | 136 | |||||
非標的 | 114 | 232 | 375 | 118 | ||||||
全体 | 109 | 236 | 379 | 127 |
N1 (N100) | P1 | N2 | P2 | N3 (N200) | P3 (P300) | N4 | P4 | N3-N1 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NS1 | 標的 | 124 | 152 | 172 | 200 | 220 | 280 | 416 | 516 | 96 |
非標的 | 132 | 180 | 212 | 368 | 508 | 672 | 80 | |||
NS2 | 標的 | 88 | 144 | 216 | 308 | 128 | ||||
非標的 | 76 | 152 | 236 | 364 | 508 | 160 | ||||
NS3 | 標的 | 128 | 184 | 248 | 364 | 436 | 624 | 120 | ||
非標的 | 120 | 188 | 212 | 356 | 424 | 92 | ||||
NS4 | 標的 | 132 | 156 | 192 | 228 | 260 | 392 | 656 | 128 | |
非標的 | 140 | 172 | 236 | 304 | 340 | 384 | 460 | 580 | 200 | |
NS5 | 標的 | 132 | 160 | 268 | 412 | 520 | 588 | 136 | ||
非標的 | 136 | 192 | 248 | 388 | 580 | 112 | ||||
NS6 | 標的 | 128 | 164 | 204 | 344 | 504 | 76 | |||
非標的 | 128 | 156 | 228 | 364 | 580 | 100 | ||||
平均 | 標的 | 122 | 236 | 350 | 114 | |||||
非標的 | 122 | 246 | 373.6 | 124 | ||||||
全体 | 122 | 241 | 360.7 | 119 |
次に視覚刺激のみによる,カタカナ刺激であるが,画像刺激同様,標的課題,非標的課題で出現する波形とも有意差は認められなかった。NSは,入力波形としてN1からN3の波形が出現し,FSは,FS2,FS5,FS6の3人は,宮崎(2003a,2003b)で指摘された,W型波形(P3と思われる波形に至るまでに,N3が出現する型の波形)が出現したが,他の3人はN2までの出現に留まった。
グラフ3 NS2のカタカナ刺激(視覚) |
グラフ4 FS2のカタカナ刺激(視覚) |
グラフ5 FS5のカタカナ刺激(視覚) |
グラフ6 FS6のカタカナ刺激(視覚) |
N1 (N100) |
P1 | N2 | P2 | N3 (N200) |
P3 (P300) |
N4 | P4 | N3-N1 | カタカナ-画像 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
N1 | N3 | |||||||||||
NS1 | 標的 | 108 | 136 | 196 | 216 | 280 | 400 | 472 | 528 | 172 | -4 | 32 |
非標的 | 104 | 144 | 196 | 228 | 284 | 404 | 460 | 660 | 180 | -4 | 56 | |
NS2 | 標的 | 112 | 152 | 228 | 316 | 424 | 660 | 204 | 28 | 104 | ||
非標的 | 112 | 160 | 212 | 272 | 396 | 424 | 644 | 160 | -4 | 48 | ||
NS3 | 標的 | 120 | 172 | 196 | 216 | 360 | 540 | 600 | 692 | 240 | 28 | 116 |
非標的 | 128 | 160 | 184 | 220 | 304 | 468 | 576 | 672 | 176 | 36 | 84 | |
平均 | 標的 | 110 | 306 | 470 | 196 | 6 | 66 | |||||
非標的 | 107 | 282 | 396 | 175 | -7 | 50 | ||||||
全体 | 109 | 294 | 421 | 186 | -1 | 58 | ||||||
N1 (N100) |
P1 | N2 | P2 | N3 (N200) |
P3 (P300) |
N4 | P4 | N3-N1 | カタカナ-画像 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
N1 | N3 | |||||||||||
FS1 | 標的 | 128 | 212 | 228 | 296 | 476 | 600 | 168 | 4 | 76 | ||
非標的 | 116 | 220 | 292 | 476 | 588 | 176 | -16 | 80 | ||||
FS2 | 標的 | 92 | 168 | 220 | 256 | 312 | 480 | 568 | 220 | 4 | 96 | |
非標的 | 92 | 176 | 324 | 456 | 604 | 232 | 16 | 88 | ||||
FS3 | 標的 | 124 | 260 | 412 | 288 | -4 | 164 | |||||
非標的 | 116 | 248 | 368 | 700 | 252 | -4 | 156 | |||||
FS4 | 標的 | 116 | 160 | 212 | 256 | 548 | -16 | |||||
非標的 | 104 | 160 | 220 | 452 | 564 | 712 | -36 | |||||
FS5 | 標的 | 104 | 164 | 256 | 288 | 400 | 560 | 728 | 296 | -28 | 132 | |
非標的 | 108 | 172 | 224 | 300 | 380 | 272 | -28 | 132 | ||||
FS6 | 標的 | 100 | 128 | 212 | 260 | 316 | 476 | 672 | 216 | -28 | 112 | |
非標的 | 88 | 128 | 204 | 256 | 372 | 472 | 744 | 284 | -40 | 144 | ||
平均 | 標的 | 111 | 347 | 560 | 238 | -11 | 116 | |||||
非標的 | 104 | 347 | 452 | 243 | -18 | 120 | ||||||
全体 | 107 | 347 | 506 | 240 | -15 | 118 |
カタカナ刺激では,統制課題の画像刺激と比べ,N3(またはN2)の後に,すぐに陽性に振れる(P波に転じる)のではなく,ある程度の時間が経過してから緩やかな陽性ピーク(P3ないしはP4)を呈する形となった。画像刺激と比べ,N1では,NS,FSとも有意差はなかったが,N3では,NS,FSともに有意に延長(N1-N3の延長)しており,とくに,FSの伸び率が高かった。N3より後ろでは,陽性(下向き)に緩やかに振れるものが多いが,FSは,そのまま上昇する傾向があり,その後,陽性にピーク(P4)を示す者もいた。こうした入力波形(N1-N3)の潜時の差は,文字の目視認識の慣れによる差と推察でき,さらに,N3以降の陽性(下向き)への傾きの差は,認知開始のスピードの違いなどに因るものと判断できる。
最後に行われた,聴覚刺激を含んだ複合型課題でも,カタカナ視覚刺激だけによる課題と同様,標的,非標的課題での両方で出現する波形とも,有意差さは認められなかった。また,NSは,全員W型波形を呈した後,直後から陽性ピーク(P4)をもつ波形に転じた。FSでは,先の視覚刺激で,W型波形を示したFS2,FS5,FS6に加え,FS3も同様の波形を示した。この課題では,カタカナ視覚刺激に比べ,ピークのとらえやすい波形が出現している。また,統制課題と比べ,NS,FSに有意差は認められず,N3は統制課題の波形より全員延長しているが,カタカナ刺激と比べても,伸び率に有意差はなかった。N3より後ろ,カタカナ画像刺激よりも,複合型の方が陽性に振れるケースが多くなったように観察できるので,振れ幅が大きくなったと考えると,課題に対して,より多くの情報資源が使われているのではないかと推論できる。
グラフ7 NS1のカタカナ刺激(視覚・聴覚) |
グラフ8 NS3のカタカナ刺激(視覚・聴覚) |
グラフ9 FS2のカタカナ刺激(視覚・聴覚) |
グラフ10 FS3のカタカナ刺激(視覚・聴覚) |
グラフ11 FS5のカタカナ刺激(視覚・聴覚) |
N1 (N100) |
P1 | N2 | P2 | N3 (N200) |
P3 (P300) |
N4 | P4 | N3-N1 | カタカナ音-画像 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
N1 | N3 | |||||||||||
NS1 | 標的 | 76 | 136 | 180 | 224 | 288 | 572 | 212 | -36 | 40 | ||
非標的 | 100 | 132 | 184 | 212 | 280 | 432 | 484 | 628 | 180 | -8 | 52 | |
NS2 | 標的 | 128 | 148 | 196 | 224 | 320 | 412 | 588 | 192 | 44 | 108 | |
非標的 | 108 | 144 | 192 | 220 | 308 | 396 | 432 | 596 | 200 | -8 | 84 | |
NS3 | 標的 | 112 | 164 | 184 | 220 | 316 | 532 | 612 | 636 | 204 | 20 | 72 |
非標的 | 136 | 172 | 188 | 216 | 344 | 448 | 512 | 632 | 208 | 44 | 124 | |
平均 | 標的 | 107 | 302 | 464 | 195 | 3 | 62 | |||||
非標的 | 116 | 314 | 412 | 198 | 2 | 82 | ||||||
全体 | 112 | 308 | 429 | 197 | 3 | 72 |
Label | N1 (N100) |
P1 | N2 | P2 | N3 (N200) |
P3 (P300) |
N4 | P4 | N3-N1 | カタカナ音-画像 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
N1 | N3 | |||||||||||
FS1 | 標的 | 140 | 236 | 308 | 504 | 576 | 168 | 16 | 88 | |||
非標的 | 128 | 216 | 308 | 600 | 700 | 180 | -4 | 96 | ||||
FS2 | 標的 | 92 | 112 | 160 | 184 | 312 | 500 | 612 | 220 | 4 | 96 | |
非標的 | 92 | 112 | 152 | 192 | 308 | 428 | 468 | 548 | 216 | 16 | 72 | |
FS3 | 標的 | 112 | 168 | 192 | 236 | 320 | 208 | -16 | 72 | |||
非標的 | 112 | 180 | 200 | 232 | 376 | 672 | 264 | -8 | 164 | |||
FS4 | 標的 | 112 | 160 | 364 | 424 | 576 | 676 | 252 | -20 | 104 | ||
非標的 | 112 | 168 | 344 | 488 | 540 | 644 | 232 | -28 | 4 | |||
FS5 | 標的 | 108 | 172 | 248 | 348 | 240 | -24 | 80 | ||||
非標的 | 108 | 132 | 248 | 316 | 380 | 452 | 532 | 592 | 272 | -28 | 132 | |
FS6 | 標的 | 104 | 132 | 220 | 256 | 312 | 604 | 728 | 844 | 208 | -24 | 108 |
非標的 | 76 | 128 | 204 | 256 | 372 | 600 | 812 | 296 | -52 | 144 | ||
平均 | 標的 | 111 | 327 | 511 | 216 | -11 | 91 | |||||
非標的 | 105 | 348 | 528 | 243 | -17 | 102 | ||||||
全体 | 108 | 338 | 522 | 230 | -14 | 97 |
表8と表10で表示された,N3~N1間の潜時の平均を比較してみると,FSは,カタカナ視覚刺激(NS 186 > FS 240),カタカナ視覚・聴覚刺激(NS 197 > FS 230)とも,NSより,潜時は延長していることが確認され,入力刺激に対する認知スピードは,データが示す限り,FSの方が遅いことが分かる。しかしながら,FSだけに限定して検証してみると,カタカナ複合型の波形で,P3が出現していた場合には,潜時が早くなっている傾向が確認された。本実験課題をデザインするに当たって,「視覚刺激のみのタスクより,視覚・聴覚複合型刺激の方が,複雑な処理が働くため,潜時が遅れるのではないか」という予想が立てられたが,それは,FSは,与えられた情報を認知するスピードが遅いという先行研究に従った判断によるものであった。本実験は,音声入力を加えた場合,複雑化するため,情報処理が遅れるのではなく,逆に,より早く処理されたという結論を支持する結果となっている。これは,単純に複合的な要素が加わると,処理スピードが遅くなるという短絡的帰結にはならないことを示唆しており,むしろ,複雑な処理が要求されるタスクの中で,もっとも効率のよい情報をすばやく処理する働きが現れるのではないかと推察される。そうした点で,本研究は,意義のある研究課題を提示している。
4 結語及び今後の課題
本稿は,FSとNSによる,カタカナの聴覚及び視覚認識タスクによって発生したERPをもとに,単一課題と複合課題で現れた潜時分析を行うことによって,潜時がどのように変化するのかを検証したものである。NSとFSの比較に関しては,画像刺激,カタカナ視覚刺激,ならびにカタカナ視覚・聴覚刺激とも,有意差は認められなかった。これは,FSの日本語能力のレベルの高さにあるといえるが,複雑な課題をデザインしなかったことにも一因がある。また,本研究から,単一の課題は,複合的な課題と比べ,必ずしも迅速に反応するわけではないことが示唆された。今後は,さらに実証研究を重ね,言語習得にどのように応用すべきかを考察していきたい。
今回の研究を日本語教育に応用できる点としては,リソースと情報処理の因果関係であろう。例えば,視覚情報に加え,音声による追加情報のほうが,より認知度が増す場合があると考えられる。大学の講義場面における留学生の言語行動を考えた場合,正確な板書や教科書,参考書の読解能力,担当教授の口頭説明を正確に理解する聴解能力などが複合的に連鎖しあっていると予想されるので,総合的に組み合わされた調整能力の向上が重要であるといえる。同時に,教える側も,自らの口頭説明だけで理解させる,つまり留学生の聴解力を過度に期待するストラテジーを採用せず,文章表現,再生,要約など複合的なタスクを課すことにより,多面的に理解させるようにデザインすべきである。なぜならば,インターアクション場面では,聴解による情報処理が正確に行われても,視覚情報の理解は必ずしも一致しない場合が考えられるからである。つまり,音声による再生(口頭表現)は可能でも,語彙表記などの問題を引き起こす。聴解力を向上させるためには,聴解指導だけではなく,表記された情報の認識指導や,認識したものを表記によって再生する表現指導などの統合化されたトレーニングが不可欠である。
今回の聴覚刺激音も,宮崎(2003b)と同様,自然音を採用した。日本語教育でも,長音の知覚に関する研究で,長音そのものや,長音とピッチに関する実証的な実験がデザインされ,刺激音の作成に当たっては,音響解析装置などによって機械処理を施しながら,母音や子音の長さを延長,もしくは短縮している。自然音の採取とその分析の意義を説く立場に対し,ある研究者グループは,合成音による課題作成は,自然音に比べ,さまざまな要因が混入せず,より正確な臨床実験が可能であるという立場を崩さない。また,それが自然音を解析する場合の検証にも役立つと反駁するが,そうした研究者の最終的な目標が,果たして自然音の解明であるかどうかは懐疑的である。いずれにせよ,さまざまな要素が複合的に入り組む,実際使用場面でのインターアクション問題の解決を,大きな目標に掲げる日本語教育を視野に入れた場合,合成音や自然音を対象とした実証研究を,どのように展開させていくか,今後より議論を深めていく必要がある。
最後に,今回のERP実験のデザインには,潜在的な問題も存在し,依然,内省的方法論を代表する方法論には至っていない箇所がある。刺激項目として,カタカナの視覚刺激とカタカナの視覚・聴覚刺激はデザインしたが,単一のカタカナの聴覚刺激は,さまざまな難しさから作成に至らなかった。本来,視覚,聴覚,視覚・聴覚といった比較の上で,問題点を列挙したかったが,これが,リサーチデザインの大きな障害となっている。今後,どのように明快な比較検討データを収集できるかが,一連のERP研究の成否にかかっている。
参考文献
- 平松謙一 1994「脳磁計の言語研究への応用」,『月刊言語』,23-4大修館,83-88頁
- 今田俊明 2000 「仮名・漢字を認知するときの脳活動」,『臨床脳波』,vol.42,no.12,772-779頁
- 城生佰太郎 2001 「実験言語学の提案――事象関連電位を用いた言語研究の可能性――」,『日本語学』,20-13,明治書院,36-46頁
- 高民定 2002 「対象者の内省を調査する(2):アイカメラ」『言語研究の方法:言語学,日本語学,日本語教育学に携わる人のために』,97-106頁,東京:くろしお出版
- Kutas, M. & S.A. Hillyard 1980 Event-related brain potentials to semantically inappropriate and surprisingly large words, Biological Psychology, 11, pp.99-116
- Kutas, M. & S. A. Hillyard 1983 Event-related brain potentials to grammatical errors and semantic anomalies, Memory and Cognition, 11, pp.539-550
- 宮崎里司 1999「日本語学習者の脳の言語処理過程:漢字の表記逸脱刺激による事象電位(ERP)分析の試み」,『講座 日本語教育』,第35分冊,41-51頁,早稲田大学日本語研究教育センター
- 宮崎里司 2000「外国人日本語学習者のカタカナ表記逸脱に関する言語処理過程:事象関連電位(ERP)を使った考察」,『講座日本語教育』,第36分冊,早稲田大学日本語研究教育センター,41-52頁
- 宮崎里司2002「対象者の内省を調査する(3):脳波研究」『言語研究の方法:言語学,日本語学,日本語教育学に携わる人のために』,107-116頁,東京:くろしお出版
- 宮崎里司・小山真希子2003「意味および時制の逸脱に関する脳の言語処理過程研究:事象関連電位(ERP)による実証研究」,15-22頁,早稲田日本語教育研究
- 宮崎里司 2003a「カタカナ表記逸脱における日本語学習者の脳波分析:事象関連電位(ERP)を応用した言語処理過程の研究」,『接触場面と日本語教育:ネウストプニーのインパクト』,85-96頁,明治書院
- 宮崎里司 2003b「日本語学習者のカタカナの表記逸脱に関する脳の言語処理過程研究:事象関連電位(ERP)による実証研究」,『第二言語としての日本語の習得研究』,5号,19-32頁,凡人社
- 中込和幸 1994「脳における言語処理過程」,『月刊言語』,76-82頁,大修館
- NECメディカルシステムズ研修所編 1998『脳波標準テキスト』,NEC,三栄
- Neustupny, J.V. 1990 The follow-up interview. Japanese Studies Association of Australia Newsletter,10,2,pp.31-34.
- ネウストプニー,J.V. 1995『新しい日本語教育のために』,大修館書店
- 鈴木美加 2002「初級後半の学習者は文章をどう読むのか:アイカメラによる記録の使い方」『言語研究の方法:言語学,日本語学,日本語教育学に携わる人のために』,200-208頁,東京:くろしお出版
謝辞
本研究は,NECメディカルシステムズ研修所の渡邉千晴氏に,機器の提供ならびにデータ分析に関してご協力を得た。この場を借りて謝意を述べる。