藤ジニーさん(藤屋旅館)の日本語コミュニケーション能力
山形 研究出張報告
アメリカから日本の老舗温泉旅館に嫁ぎ,女将業に従事する藤ジニーさんの日本語におけるコミュニケーション能力の習得状況とそのプロセスのパイロット調査と,日本語研究教育センター主催「日本語教育学公開講座」でのゲストスピーカー・セッションの打ち合わせを兼ねて,藤屋旅館への出張を行った。以下に,今後,調査を継続していく上で有益だと思われるインタビューの調査結果の概要をまとめる。
宮崎里司
- 日程
- 2003年5月18日~20日
- 場所
- 山形県銀山温泉 藤屋旅館
1. 実際使用場面
ジニーさんの日本語の実際使用場面は多岐に渡るが,女将としての使用場面と家人としての使用場面に大別できる。前者は,宿泊客への対応や予約の受付などの接客,従業員への指示,同業との寄り合いやマスコミへのインタビュー(宣伝)などが挙げられる。一方,後者は,家族(ご主人,お姑,お子さん2人)とのやり取りの他,買い物などの日常生活が挙げられるだろう。
1.1. 女将としての実際使用場面
接客は,女将業として最も重要な仕事の一つである。個人客に対しては,一般的なあいさつに留まらず,話はフリートークにも及ぶ。毎日入れ替わる,バリエーション豊かなお客は「一番の勉強になるところ」だそうである。
予約に関しては,電話での応対で,大晦日とお味噌を混同するなどの失敗談を経てきたとのことである。このような失敗が「日本語の勉強につながる」と,女将は認識している。
1.2. 家人としての実際使用場面
女将には2人のお子さん(5歳と3歳)がいるが,「自然に英語を覚えて欲しい」という考えから,積極的に英語で話し掛けている。
インタビュー中にも,英語で話しかける光景を目にした。なお,お子さんに対しては日本語と英語を併用しているが,ご主人には専ら日本語で話すそうである。家族が揃うときも同様で,英語はときに混じる程度だそうだ。
2.人的リソース
女将が接客など女将業に従事する際,用いられる日本語は,ホスピタリティ・ジャパニーズとして,一般の日本語学習者が習得を目指すものとは一線を画すだろう。このとき,その日本語使用に誤用が含まれることもある。この誤用に訂正を加えてきたのが,ご主人とお姑さんである。その甲斐あって,今回のインタビューでは,訂正の必要を感じるような誤用は,とくに見受けられなかった。
ところが女将はご主人の訂正については,ご主人の訂正に従うと「その日本語が男言葉になる」という危惧を抱いているため,幾分否定的な評価を持っているようであった。
3.老舗旅館の社会文化
老舗旅館は伝統を保持することで,現代日本において社会文化の面で特異性を見せる。この特異性こそが,老舗旅館の老舗たる所以であるが,このために女将に求められる社会文化能力は,当然一般の学習者とは大きく異なる。
まず最も目に付く外見に関しては,着物の着用が挙げられるだろう。着物の着付けは複雑であり,現在ではそれを全く問題としてはいないが,当初は女将も相当苦労したようである。この着付け習得には,やはりお姑さんのサポートが大きかったようである。
また立居振舞にも,女将ならではの社会文化的な特徴がみられる。客間でのふすまの開け閉め等は,日本旅館だからこそ必要が生じる。着物を着ると,その動作には制約が生じるが,女将にはこのような状況の中で立居振舞に配慮することが求められるのである。この点に関してもお姑の関与は大きく,女将は失敗を重ねながらも,その役割に相応しい社会文化能力を備えるに至った。
4.まとめ
日々,多様性に富むインターアクションをくぐり抜けることは,日本語の習得に寄与するところ大である。女将の日本語習得は,まさにサバイバル・コミュニケーションの賜物と言えるだろう。 しかし,このサバイバル・コミュニケーションは相当な苦労を伴うものである。伝統の重みと役割に課せられた責任は,それだけで重圧となる。ましてジニーさんの場合は外国人として,言語的・社会文化的な面でのハードルが,非常に高く設定されていることと思われる。
もちろんこのようなプレッシャーに打ち克つには,ご主人をはじめ,家族の存在が大きな支えとなっただろう。しかし,日本語習得の成功の鍵は,何よりも女将自身の人柄に求めることができるのではないだろうか。失敗を成功の糧とし,困難に明るく,積極的に立ち向かうことができたからこそ,与えられた日本語の実際使用のチャンスを十分に生かせたのであろう。
メディア掲載情報
- 「日本語教育公開講座特別講演会『藤ジニーさんを迎えて』――ニッポン人には,日本が足りない」
- 山本千津子(日本語教育研究科修士課程)さんによる『早稲田ウィークリー』掲載の現場レポートです。
- 読売新聞「青い目の女将は“楽天家”」
- 力士と同様,自然習得環境で日本語を学ぶ藤ジニーさんです。