宮崎里司のオックスフォード通信 第1回

「オックスフォード大学事情」

Wolfson College

Wolfson College のCrest(徽章)オーストラリアから,最後の研究地であるオックスフォードに着いて,はや1ヶ月が経った。滞在先は,早稲田と大学間協定を締結しているWolfson Collegeは,13世紀に建てられた,University College (1249年)や,Balliol(1263年),Merton(1264年),St. Edmund Hall(1278年),さらにHertford(1282年)といったカレッジと比べると,1965年設立という,40近くあるカレッジの中でもかなり新しい部類に入る。

Merton College(皇太子が学んだカレッジとか)オックスフォードとケンブリッジの2大学は,カレッジ制度を導入していることで知られる。プリンストンにもカレッジがあったが,その独立性や大学で果たす役割は,Oxbridgeの方がはるかに大きいという印象を受けた。オックスフォードでは,49の学部,学科に所属する学生が,それぞれのカレッジに配属され,講義(lecture)は,学科で受講し,各カレッジでは,演習(tutorial)を受けるというシステムである。専攻分野の中で,

  • History (Modern)
  • History (Ancient and Modern)
  • History (Modern) and Economics,
  • History (Modern) and English
  • History (Modern) and Modern Language
  • History (Modern) and Politics
  • History of Arts

Christ Chursch College(Harry Potterの映画に出てきたダイニングホールはこのカレッジで撮影されたとか)という7つのHistory関連する複合コースが設置されており,同様に

  • Classical Archaeology and Ancient History
  • Classics
  • Classics and Modern Languages
  • Classics and English
  • Classics and Oriental Studies

といった5つのclassics combinedコースも提供されているが,これもオックスフォードの特徴の一つといえるだろう。

St. Antony's College(人文学系の大学院生が多く所属している)ちなみに,Oriental Institute(東洋学研究所)に所属するJapanese Studies(日本研究)では,現在7人のスタッフがおり,チュートリアルは,Hertford College,Keble College,Pembroke College,Queen's Collegeの4つのカレッジで行われているという。また,Undergraduate Prospectus 2006-2007によれば,Oriental Studiesに所属する学生は,Hertford,Wadham,Pembrokeを初めてとして,25のカレッジに分かれて生活している。

Wolfson Collegeの寮なお,カレッジのシステムであるが,Wolfson Collegeには,1人のカレッジ長(President)と,57人のThe Governing body fellows(カレッジ所属の教員)が登録されている。各カレッジは,財政的にも独立しており,例えば,現首相のTony Blairが卒業し,今年開校450周年を迎えたSt. John's Collegeなどは,借地権を有する不動産が多く,経済的にはかなり潤っているといわれている。一般的に,町の中心部に近いカレッジほど歴史も古く,財テクにも長けている傾向が強いようだが,町からやや離れているWolfsonは,裕福さとは,どうも無縁のようである。ちなみに,Hertford Collegeは,本学政経学部卒で,イラク復興支援にむけて尽力中に凶弾に倒れた奥克彦大使(享年45)が,在英国日本国大使館外交官補として,オックスフォード大学にて在外研修に滞在したカレッジとして知られている。

Chippie。寮に住む住人に,なぜかなついたチッピー(chippie: chip monkからの命名)来て間もない6月初旬は,Examination Schoolで,学年末試験に臨むために,忙しく街を往来するオックスフォード生がまとったsub-fuscが珍しく,伝統的なアカデミック場面を垣間見るようだった。仕事の面では,この1ヶ月間,研究室に在籍する院生の修論チェックに始まり,他の院生の中間発表用レジュメ,さらには,経過報告書や研究計画書の添削,日本語教育学オンデマンド講座の受講生との掲示板を通した意見のやりとりといった「通常業務」の外に,オックスフォード大学,シェフィールド大学での講演を行い,また,同じ地域にある,オックスフォードブルックス(Oxford Brookes)大学の日本語科(School of Arts and Humanities, Department of Modern Languages, Japanese Language and Contemporary Society)にも見学に伺い,久美子 Helliwellさん,穴井宰子さんなどにもお会いし,イギリスの日本語教育事情について教えていただくなど,充実したスケジュールであった。加えて,BATJ(The British Association for Teaching Japanese as a Foreign Language)と国際交流基金ロンドン日本語センター共催による,ワークショップ・セミナーなどにも招待され,忙中にして閑なしといった状態が続いた。

Oxford University Brookes大学にある和室また,後半からは,ウズベキスタン日本語教育セミナーの講師として,タシケント,サマルカンドまで飛び,現地の学習者や教師への研修会も行ってきた。なお,BATJのワークショップと,ウズベキスタンの研修会の模様は,次回以降の通信で報告することにする。

講演の後,Dr. Frellesvigとレバノン料理店にてオックスフォードのThe Oriental Instituteでは,全体で64名の学生が日本語を学んでいるが,卒業生は,金融関係,またはlaw conversionといって,法学大学院で勉強する者もいる。古代音声学を専門とする,Dr. Frellesvigをはじめ,日本語教育関係では,西澤芳織(かおり)さん,萩原順子さんにお世話になった。また,シェフィールドでは,永井三幸さんに,セミナーのお膳立てをしていただいた。この大学の教員は,学部,学科に所属する教員だけではなく,カレッジとの双方に所属する教員もおり,たとえば,Dr. Frellesvigは,Oriental Institute とHertford Collegeの両方に所属しているという。

図書館

世界最古のOld Bodleian図書館オックスフォードは,充実した図書館があることでも知られている。今年創立403年を迎える,Bodleian(世界最古)Libraryは,本部図書館のほかに,9つの図書館(the Bodleian Japanese Library, the Bodleian Law Library, the Hooke Library, the Indian Institute Library, the Oriental Institute Library, the Philosophy Library, the Radcliffe Science Library, the Bodleian Library of Commonwealth and African Studies at Rhodes House and the Vere Harmsworth Library)からなる総合図書館である。

また,Radcliffe Cameraという学部生用の開架式図書館も有名である(cameraとは,もともと丸天井の暗い部屋の原義があり,それが暗箱で作られたカメラを指すようになった。また,cameraと同じ意味で,chamberがあるが,これも丸天井の部屋が原義となっている)。

Nissan Instituteと,ボドリアン図書館附属日本研究図書館館日産日本問題研究所所と同じ建物にある,ボドリアン図書館附属日本研究図書館館長のイズミ K. タイトラーさんにお目に掛かったが,彼女は,偶然にもプリンストン大学東アジア図書館の司書をしていらっしゃる,Yasuko Makinoさんや,以前モナシュ大学の司書で,現在メリーランド大学の司書をしている,Eiko Sakaguchiさんなどとも親しいことがわかり,懐かしくお話させていただいた。タイトラーさんの勧めで,オックスフォード大学 日本ボドリアン友の会(The Japanese Friends of the Bodleian)にも,早速入会させていただいた。その他にも,懐かしい再会があった。オーストラリアのオーストラリア国立大学(ANU)でPh.Dを取得した,前日産日本問題研究所所長のArthur Stockwin名誉教授とは,モナシュ時代にお会いしたが,こちらでも精力的に研究していらっしゃった(Nissan Institute of Japanese Studies)。

オックスフォードの図書館で,中国関連文献を担当している司書の,David Helliwellさんに案内してもらったが,ボドリアンも,その膨大な蔵書の処理への対応で苦慮しているという。関係者しか見られない,地下の蔵書棚を見せてもらったが,まったく利用されない蔵書が保管されたままになっていた。

アカデミックジャンル

Japanese Studiesのプレートオーストラリアで学んでいた時,研究指導を受けていた,ネウストプニー教授から,世界の大学での,学問研究スタイルについて伺ったことがある。アメリカのハーバード,プリンストンなど,アイビーリーグを中心とするタイプ,当地のオックスフォード・ケンブリッジといった,いわゆるオックスブリッジタイプ,ヨーロッパではパリ大学・ハイデルベクグ大学などを中心とするタイプ,アジアでは,東大や京大を中心とするニッポニクタイプといったタイポロジーであったように記憶している。ただし,これらの大学の周辺地域や周辺国でも,似たような傾向がある。それぞれのジャンルは,歴史的な経緯もあり,講義形式,教授との接触,成績の累計方式,学生間のインターアクション,学生生活など,すべてに渡って,その違いが見られる。オーストラリアの大学の多くは,基本的にオックスブリッジ型をモデルとしているといえるだろう。

たとえば,博士課程にはコースワークがなく,論文の提出だけが課せられることなどは類似性があり,Ph.D論文のWord Limitationは,100,000 wordsとされている。ところが,アメリカでは課程を修了することが,論文提出のための条件とされており,コースワークも重要視されているため,ABD(all but dissertation)の資格を得た,人文系,社会科学系の学生が書き上げる論文の量は,比較的少ないと聞いている。

だが,アメリカの学生は,イギリスで思いの外,問題に遭遇しているようである。Wolfsonのアメリカ人留学生に聞いてみると,アメリカのカレッジシステムとは,想像以上に異なるため,アジャストするのが大変だったという感想を聞いた。具体的に例示すると,イギリスの大学院は,アメリカと比べ,一般的に指導教員からの働きかけが少なく,学生自身が決定する領域が多いように感じる。在籍中,学会発表や論文投稿についても,アメリカの教授が,積極的にencourageするのに比べ,論文作成を第一義に考える傾向が強いので,外部に向かって発信することについて,熱心に勧める教員は少ないという。良きにつけ,悪しきにつけ,"Publish or Perish" なるスローガンを,大学院時代から体得させるアメリカと比べ,イギリスの指導教員は,よく言えば,自主性に任せた指導,逆に言えば,放任主義的指導のように映るのだろう。自身の経験からすると,オーストラリアは,中間的な態度を持つ教授が多いように思えた。

では,こうした問題に対し,留学生はなぜ対応できなかったのであろうか。当然,学生自身の問題留意の評価力の低さにも起因し,事前調整ストラテジーを駆使しなかったことが挙げられるが,送り出す側の所属大学が,事前準備コース(pre-departure program)の必要性を感じ,整備してこなかったことが主な原因である。おそらく同じ英語圏であるため,少々の問題は,学生自らの自己調整能力に委ねれば事足りるという,安易な思い込みが働いたようだが,アカデミック場面でのインターアクション問題はそれほど単純ではない。

こうした見聞から,インターアクション問題の原因は,狭い意味での言語的要因ではなく,社会文化(教育)的要因が大きいと推察できる。教育領域では,わずか一ヶ月あまりに過ぎないが,オーストラリアとの類似性よりも,異質性の方が目立つ。日本語教育においても,言語(または文法)的問題だけを解決すれば,アカデミック場面での留学生のインターアクション問題が消え去るわけではないということを,強く意識すべきだ。単なる英語圏の間に存在する位相の違いと片付けず,問題は,システムに起因することを意識する必要がある。

Oxford Speak

Oxford Speakと呼ばれる,Oxford term(符帳)がある。一般には,"Oxbridge" という言葉が知られているが,長い伝統の中で使われてきたOxford Speakは,ラテン語を起源とする語彙もあり,位相語として,他の集団と区別する役割も果たしているようだ。こうした独特な言い回しは,カレッジでの生活を通して習得できるものであり,これらの符帳を覚えることによって,周辺参加が可能になるのであろう。よく耳にしたものの中で代表的なOxford Speakを以下に列挙しておく(赤字は,アメリカ,オーストラリアでは,まったく使われない用語)。

  • Lodge(受付。もともと大学の門衛詰め所という意味からの転化。ちなみにオーストラリアでは,The Lodgeは,キャンベラの首相官邸を指す。)
  • Batteles(会計係)
  • Composition fee(授業料)
  • Encaenia(学位授与式)
  • Proctor(学生監・学生部長)(アメリカでは,試験監督官を指す ちなみにイギリスでは,invigilatorがこのことばに当たる)
  • Quadrangle(中庭を含むカレッジ全体)
  • Sub-fusc(フォーマルなアカデミック・ドレス 定期試験の際に着衣が義務付けられている)
  • Viva (口頭試験 viva voce)(発音はvaiva voisi)
  • Collection 学期初めに行われる復習試験
  • PPE (Politics, Philosophy and Economics) これもOxford Speechの部類に入るだろうか。ケンブリッジと比べ,オックスフォードは,伝統的にこの3分野に強いといわれているようである。

オックスフォードで出会った友人

New CollegeのGargoyles(樋嘴:ひはし)ウズベキスタンのTashkentからの飛行機で隣に座った,Freedom HouseのSenior Program Officerである,セルビア人のZarko Petrovicである。6月末から6週間,New Collegeで行われる,Master's Degree in International Human Rights Lawのコースを,今年から取り始めている。民族紛争が絶えないセルビアに生まれたことが,人権への関心を高めたのだろう。カレッジ近くのパブで,一番好きだというオーストラリアのFoster’sを飲みながら,前UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の弁務官で,現在JICA理事長を務める緒方貞子さんの話などを熱っぽく語ってくれた。

ロンドンのテロ事件

昨年,NYのマンハッタンにあるground zeroの現場を見たとき,このような惨劇は二度と見たくないという思いを新たにしたが,去る7月7日,また悲惨な光景を目にすることになってしまった。幸いロンドンには滞在していなかったが,被害に遭われた方や,ご遺族の方々の心中如何ばかりであろうか。カレッジのコモンルームでBBCのライブを見ていた他の院生達もことばがなかった。Tony Blairの We will not be intimidated, やOur determination to defend our values and our way of life is greater than thier determination to cause death and destruction to innocent people in a desire to impose extremism on the worldということばは,強い決意表明でもある。テロによる報復行為はいつまで続くのであろうか。

イギリスこぼれ話 1――Couch Potato

Oxford Speechのほかに,ことばにまつわる,こぼれ話をもう一つ。

テレビやビデオを見ながらソファーでグータラする人を指す,Couch Potato (カウチ・ポテト)というアメリカ製の俗語は,じゃがいものイメージダウンにつながるとして,Oxford English Dictionary(OED)からの削除を求め,イギリスじゃがいも栽培農家が,ロンドンの議事堂前でデモをした。デモに参加した人々は,低脂肪でビタミンC豊富な健康食品に,OEDで明らかにされているような「グータラ」のイメージがつくのを心配し,Couch Slouch(ソファーでグータラする人々)に換えるべきだと主張し,オックスフォード大学出版局事務所にもデモをかける計画という。この話は,じゃがいもの地位(?)向上を目指す農家の人々のユーモアのある洒落たデモと捉えることもできるが,権威あるOEDに掲載された表現であったため,人々が単なる俗語感覚として捉えない状況を危惧したとも見ることができる。そのオックスフォード出版局は,オックスフォード駅の近くにあるが,早大出版局とは桁違いに大きく,大学出版局が立派にビジネスとして成立していた。

イギリスこぼれ話 2――SUDOKU

こちらに来て,ある数字パズルが流行っていることに気づいた。日本育ちのようで,名をSUDOKUという。縦横3マスの小ブロックを九つ正方形に並べ,空きマスに1から9までの数字を入れるという数字遊びで,縦横の各列と小ブロック内は同じ数字が一度しか入れられない。機内や電車,カフェなどで鉛筆片手に熱中しているBritonを見かける。

一般に「ナンバープレース」と呼ばれるこのゲームは,18世紀にスイスの数学者が考案したといわれるが,ちょっとした,頭休めにはなるようだ。

イギリスこぼれ話 3――シラク舌禍事件?

7月6日,シンガポールで開かれたIOC総会で,2012年のオリンピックがロンドンに決定した。ダークホースだったロンドンが,本命のパリを破ったと,地元では大騒ぎのようだが,シラク大統領のちょっとした舌禍事件が災いしたようだとも言われている。

こちらの新聞では,大統領がマスコミに,The only thing they've ever done for European agriculture is mad cow. He then turned to the subject of British cooking. "We can't trust people who have such bad food. After Finland, it's the country with the worst food.と発言したのを大きな見出しで報じている。