墨田区立文花中学校 夜間中学日本語学級 見学報告

写真

日程2004年5月13日(水)
場所墨田区立文花中学校
夜間中学日本語学級 [HOMEPAGE]
見学者熊倉,辛,杉山,高橋,チャイー,六笠,和田

1. 見学のタイムテーブル

時限時間活動内容
授業前5:10~5:15先生方との打ち合わせ,クラスの様子の説明
[1限]5:15~6:00担当の先生と一緒にほぼ全クラスを見学
[2限]6:00~6:35二つのグループに分かれて見学
[給食]6:35~7:10控え室で夕食,生徒は食堂で給食
[3限]7:10~8:00各自クラス見学
[座談会]8:00~8:30担当の先生との座談会

2.文花夜間中学に関する情報(石森先生のお話より)

2.1 学校全体について

生徒数
約66名
日本語クラスの生徒数
約41名
入学について
随時可能とし,門戸を広げている。また,一定期間学校に慣れるまでの試験登校という制度も設けている。
通学区域
夜間中学自体の学校数が少ないので,特に定めていない。
クラス編成
A~Kの11クラス。
教員構成
専任13名,嘱託1名,講師5名
生徒の年齢構成
未成年17人前後,高齢者10数名
卒業後の進路等
えんぴつの会,定時制高校など
文花中(昼間)との交流
全体として年2回の交流会
昼間の2年生の生徒が,授業に参加する
文花夜間中学の渉外活動
全都の中学に夜間中学を進路の1つの選択肢としてアピールしている。
行政への要望
教員数の増員,予算拡大,学校数の拡大,養護教員の配置,既卒者の再入学

2.2 日本語学級について

開設
1971年に全国初の認可
生徒の背景
中国系(残留孤児,配偶者)が80%
現在の課題
若い世代(連れ子)の生徒の生活指導上の問題
→解決策:学校に早めに登校してもらい指導

3.見学者の感想

3.1 見学クラスについて

学生1

4名の女性と4名の男性の小クラスで,皆仲が良く落ち着いている雰囲気のクラスだった。授業進行中に,コミュニケーション障害が起きた。学生は学生同士で母国語を使いながら討論して解決しようとした。その間,澤井先生は学生を自由にさせた。クラス内のインターアクションによる問題解決とは学生の学習に役に立つ方法だと痛感した。

オーディオリンガル的な澤井先生のティーチングスタイルのお陰なのか,暗記が得意な中国人の学生のお陰なのか分からないが,学生たちは,口頭で与えられ文の変形を頭を使ってすばやく行っていた。

学生2
(1)Fクラス(2限)
生徒:9人(未成年3人,その他中高年)
学習内容:名詞修飾節の練習(~ている+名詞,タ形+名詞)
  1. 数人の参加者が描かれているパーティーの絵と,その参加者の顔と名前が書いてあるカードが板書してあり,以下のような対話練習をしていた。
    A:どれが山田さんですか。
    B:あのエプロンをしている人ですよ。
  2. 教師とアシスタントがモデル会話を示し,ダイアログをプリントで配布し,暗記して,前で演じる練習。(~タ形+名詞)
授業の様子:
  • 楽しそうに会話練習に参加していた。
  • 学習内容や授業方法としては,「日本語」の授業と似ているという印象を受けた。
(2)Iクラス(3限)
生徒:10人程度(未成年クラス,中国語圏の生徒が多い)
学習内容:『新文化初級日本語Ⅰ』
  1. 「こそあ」の復習:教科書の会話を暗記して,ペアで練習
  2. 形容詞の練習
    1. 学習した形容詞を使って,問答練習。(院生も参加)
    2. 形容詞のまとめ。プリントに書いてある形容詞と反対の意味の形容詞を記入する。
授業の様子
  • 最初,生徒会関係の集まりがあり,生徒が二人しかいなかったが,徐々に増えてきた。
  • 生徒はみんなとても楽しそうだった。友達と一緒にいるあの空間それ自体を楽しんでいるようにも見えた。
学生3

2つの日本語クラスを見学した。皆さん楽しそうに日本語を勉強していた。先生が全身を使って表情豊かに教えていた。教壇に立って日本語を教えるという楽しさ・喜びを思い出した。

日本語授業に限らず,どんな授業でも,学生のやる気,先生の熱意があって,効果的に勉強ができるのだろうなと感じた。

学生4

わたしは「音楽」と「数学」を見学した。「音楽」では,校歌を練習していた。生徒さんは年齢層もばらばらで,国籍もいろいろ。みんなで一緒に歌うだけではなく,歌詞を読みながら,先生が意味を確認したり,助詞の読み方を注意したりして,すべてが日本語の勉強に役に立つんだなあと思った。「数学」でも,問題文の意味や記号の読み方を確認しながら数式を解いていく。最初は「日本語指導」のクラスを見学しようと思っていたのだが,他の教科を見学してみて,日本語を使ってなにかを学ぶという環境そのものが,日本語の習得に結びついているのだと実感した。

学生5

私は音楽と日本語のクラスを見学した。音楽は,高齢の日本人と中高年の外国人,17,8歳の未成年の外国人の生徒が一緒になっていた。これほど多様な背景・日本語レベルの生徒がいても,どの生徒も各々なりに参加できる内容になっていて,先生が授業を非常に工夫されていると思われた。日本語クラスでは,この日はちょうど生徒会役員の選挙があったため,先生は立候補したクラスの生徒を素材に名詞節の作り方を提示しており,楽しい雰囲気だった。何人かの中国の中年の生徒は日本人名を使っていたので,その理由などを尋ねてみたいと思ったが,個人的に話をする時間がなかったのは残念であった。

3.2. 夜間学級全体の感想および座談会の感想

学生1

遅れていたため,具体的なコメントは言えないが,石森先生の話を聞いていて,文花中学校の先生方は生徒に対して細心の心遣いをしていることがよく伝わってきた。確かに,夜間中学校の学生たちは日本語の勉強だけではなく,日本の生活になれる指導やカウンセリングも肝心で必要だと深く考えさせられた。私自身は教えることには情熱的だと堂々と言えるが,文花中学校の先生方がなさっていらっしゃるのは日本語を教えていると言うよりも人間を育てることだといった方が適切だと思った。

学生2

かつて地域の日本語教室に係わっていた際,通ってくる人の中には,教室と夜間(自主)中学を掛け持ちしている人が多くいた。その付き合いの延長上で,夜間中学の人達とも一緒に遊んでいたのだが,いろいろな人と出会った。このような先入観があったので,公立の夜間学級とはどのようなものか,見学には深い関心を持って臨んだ。

場所は区立中学の一区画を使い,教員も配置されている。そのすばらしさには目を見張った。現場にはご苦労が絶えないこともわかったが,墨田区の取り組みの真剣さがよく理解できた。

授業では,若い人のクラスを見ることが多かったが,音楽など老若男女が集うクラスで,ご年配の方がどんなに登校を楽しみにされているのかお話しくださったことが,印象に残った。授業後に先生のお話を伺うことができたが,現状を打破しようとされているあふれるほどの情熱に接し,頭が下がった。

偶然ではあったが,日を改めて見学した週の土曜日に産学官連携セミナーで通級日本語教室の話も聞くことができ,断片的な情報をまとめられたことも大きな収穫であった。

学生3

問題意識を持った,あるいは,持たずにいられなかった熱心な先生たちの細かなサポートがあって,夜間中学が支えられているということを知った。先生たちは単なる授業を行うのではなく,生活指導・相談,カウンセリングなども行ったり,生徒さんたちと一緒に解決していったりと,多くの仕事を任され,大変だと感じた。

様々な事情があり,こうして夜間中学に通って,真剣に,熱心に学習をしている方がいるということを,世間に情報発信をすることは大切だと思った。

学生4

これまで夜間中学についてはほとんど情報がなく,わざわざ夜間の中学校に通う人がどんな人たちなのか想像もできなかった。生徒数も少なく,細々と続けているのだろう,くらいに考えていた。しかし,実際見学してみて本当に驚いてしまった。そこは本当に勉強したい人たちが集まる,活気のある学校だった。わたしは3時間ほどの見学を終えて「学ぶ楽しさ」というものを考えさせられた。

学生5

想像以上に,きれいな教室と明るい雰囲気である上,少人数のクラス数の多さに驚いた。また半数以上が日本語クラスであることにも驚いた。

最初は,夜間中学でなぜこれほど在日外国人を日本語を学ばせるために受け入れているのか不思議に思っていたが,先生のお話を伺って,これが夜間中学の度量の大きさであり,先生方が,社会的責任と誇りを持って受け入れているということを強く感じた。

貴重な体験であったので,この見聞をぜひ身の回りの人にも知らせたいと思った。

学生6

「夜間」と聞くと,思わずステレオタイプ的に,映画「学校」を思い出してしまう。アクの強い先生に,つっぱり,ヒッピー,不登校...。しかし,今回の見学で,教える側も学べる側も極めて「普通」であったことまた,なぜかみんな生き生きとしていた事に,妙に感動してしまった。

1時間目は全体で,全ての教室(普通学級・日本語学級)を少しずつ見学し,2時間目は,2グループに分かれて,Fクラスと音楽クラスを見学した。3時間目は,Iクラス,Jクラス,,Fクラス,に分かれて授業に参加した。J(初級クラス)では,学習者の隣に座われたので,一緒にその「場」を体験することができた。しかし,当初の予定と違って,給食時間を利用し,学生と交流する事は,実現できなかった。個人的には,もう少し,学習者の「生」の声が聞きたかった。最後の座談会は,現在の「(日本語)教育」を取り巻く環境,「現場」と「行政」と「研究」の,様々なコラボレーションについて考えるきっかけとなった。

私は,「多文化共生」が叫ばれなくても,「多様・多声」がこの社会のデフォルトとなるように,「発信」していきたい。