メディア掲載記事

外国人力士は,なぜ短期間で日本語を理解できるようになるのか

※『毎日新聞』2001年4月7日号「ひと」より転載

日本語の取材をそつなくこなす曙や武蔵丸。言語学者として,その語学習得法を解明したい,という衝動にかられた。

旭天鵬,星誕期らモンゴル,アルゼンチン出身の力士や親方,兄弟子,おかみさん,床山,近所の応援団など約30人に取材した。

入門間もない曙は,兄弟子から「電話で『もしもし』と言われたら,『カメよ』って答えろ」と教わり,おかみさんに気づかれるまで受話器に「カメよ」と繰り返した。顔色の悪い兄弟子を気遣ったモンゴル出身の朝青龍は「関取,顔悪いっすね」と声をかけ逆に怒られる。

だが,相撲部屋は理想的な日本語道場でもあった。辞書は使わない。その代わり,番付表やカラオケなどを教材に,24時間日本語漬けの生活。ちゃんこの味とともに,日本語も体に染みこませ,番付を上げていく。ブラジル出身の国東は「日本人はどこいっても固まるから,外国語ができないのは当たり前」と批評した。

大学の講義にモンゴル出身の旭天鵬を招き,対談した。弟子入り当初は「こんにちは」「さようなら」しか知らなかったが,今では同国人の旭鷲山とも日本語で話す,といったエピソードに教室は沸いた。

豪州留学中,自らも英語の壁にぶつかった。学内の会議に積極的に参加し,会話を迫られる社交ダンスクラブに身を投じて,語学力を鍛えたという。「力士のように,外国語漬けの環境に入る勉強法がよかったんですね」

4月開講した早大大学院日本語研究科でも,人気講座になりそうだ。

みやざき さとし

毎日新聞2001年4月7日号掲載写真

愛知県出身。早大卒。豪メルボルンのモナシュ大講師を経て,早大日本語研究教育センター助教授。「外国人力士はなぜ日本語がうまいのか」(明治書院)を出版。44歳。

黒海 太さん(22)

2003年12月35日『朝日新聞』「ひと」より転載

旧ソ連・欧州から初入幕,グルジア出身の幕内力士

本名 トゥサグリア・メラフ・レバン。好きな日本語は「一生懸命」。
文 大野宏・写真 中井征勝

しこ名の元になった里海東岸の保養地スフミ(旧ソ連・アブハジア自治共和国)に生まれた。紀元前まで歴史をさかのぼれる「古くてきれいな町」。だが今,その故郷に足を踏み入れることはできない。

グルジアの中にある,イスラム勢力の強い故郷では,分離独立を求めて内戦が勃発。12歳だった93年秋,銃撃戦の中を6歳下の弟とグルジアの首都トビリシへ飛行機で脱出した。両親は2千㍍級の雪山を歩いて越え,1週間後に再会を果たした。停戦は成立したものの,行き来はままならない。

国内難民として住んだトビリシで父と同じレスリング選手の道を歩み,99年,欧州ジュニア王者に。「頑張った両親のために,今度は自分が」。そんなとき,衛星放送で大相撲を知る。日本の国際相撲連盟とファクスでやりとりし,01年5月に元幕内大翔山の追手風部屋に入門した。「五輪を目指せ」と望む父を説得した未だった。

おかみさんに単語カードを作ってもらい,露日辞典を肌身離さず日本語を覚えた。味覚の違いや相撲界のしきたりに戸惑いもした。でも,「帰ろうと思ったことは一度もない。戦争を経験し気持ちが強くなった」。

幕内の取組が母国のテレビで放送されるのを励みとして,突き押しを武器に初土俵から3年弱で念願を果たした。189センチ,157キロ。「強い人とやるのが好き。男と男の勝負ですから。次の目標は三役」

「ニッポンのことば」第2部「国際化」の中で(1)

『朝日新聞』2001年5月13日12版 文化総合23面に掲載された記事を転載

携帯電話を手にする旭鷲山(左)と旭天鵬。二人の会話はモンゴル語?日本語?(正解は本文に)=東京・両国の大島部屋で,御堂義乗氏撮影

東京・両国の大島部屋。13日から始まる大相撲夏場所を前に,朝げいこは熱が入っていた。「もっと強く当たれ」「前に出て!」幕内の旭天鵬,旭鷲山が若手に指示をとばす。2人ともモンゴル出身ということを忘れるほど,自然な日本語だ。けいこの後,2人に話を聞く。まるで掛け合い漫才のようだった。「日本の来て9年,今は日本語のほうがしゃべりやすいんですよ」「2人で話すときも日本語。流行語も普通に使いますね。ちょーやばいかなーっていうか」「初土俵が大阪だったもんで,大阪弁が好き。もうかりまっか,もうかりまへんわー,なんて」「茨城に行くと,だっぺ,でしょ。九州だったら,ここ空いとっと?」

とはいえ,すんなりとここまで来たわけではない。旭天鵬が言う。「最初は,だれにでも『お前』と言って,おかみさんに怒られました。敬語は難しいですね」取材中,旭鷲山の携帯電話が鳴った。「メールもやるよ。漢字が書けないから,日本語だけど,ローマ字で」外国人力士は,なぜ日本語がうまいのか。そんな素朴な疑問を,研究テーマにしてしまった人がいる。早稲田大学助教授の宮崎里司さん(44)。「心技体とも日本人化が求められ,寝ても覚めても日本語漬け。上下関係の中で,敬語も鍛えられる。部屋のおかみさんをはじめ,忍耐強く教えてくれる人々が周囲にいる。理想的な教育環境です」宮崎さんは長年,オーストラリアで日本語を教え,自身は英語を学んだ。痛感したのは,教室で学ぶことの限界。外国語の習得には,その言語が飛び交う世界に飛び込むことが近道と確信するようになった。