朝日山部屋 見学レポート

まとめ: 森口侑宇子

2001年度後期 表現教育実践研究(2)
日時12月17日 (8:50-11:30)
場所江東区西大島 朝日山部屋
担当宮崎里司
出席学生数10名
参加者飯塚尚子・小山真希子・田中敦子・津花知子・鄭小芳・朴淳芽・春口淳一・福島青史・森口侑宇子(五十音順)
見学内容相撲部屋の朝稽古見学
目標相撲部屋での外国人力士のインターアクション行動を観察しながら,彼らの日本語習得法について考える

活動内容

  1. 写真朝稽古の見学
  2. ちゃんこの試食
  3. 宮崎先生からおかみさんへの質問などから,相撲部屋全般の知識を得る
  4. その他,外国人力士のインターアクション行動の観察

朝稽古

小山真希子

とにかく迫力があった。苦しそうな息遣いまで聞こえ,それが練習の厳しさを物語っていた。一度相撲をとると,すぐに息があがっていたので,本当に「全力」でぶつかっていたのだなと実感した。辛くて体が動かないほどばてても気力で起き上がる姿には感服した。

私の勘違いかもしれないが,先輩力士の胸をかりる順番を,後輩達が争っている場面を何度も見た。軽く手を出し相手を遮り,我先に厳しい土俵へと向かう姿は,私も見習わねばならないと思った。ちなみにその時,二番目に強い力士はできる限り遠慮をしているようで,後輩が手を出すとすぐに引き下がって練習の機会を後輩に譲っていた。

また,先輩力士がこまめに後輩のまわしや乱れた髪を直していた姿も印象的だった。優しさを兼ね備えていて初めて本当に強い力士なのかもしれない。

近くに来た時,じっくりと力士の顔を見て,彼がとても若いのだということに気づいた。親元を離れ,厳しい稽古(と私達には見えたのだが,この日の稽古は楽な方だったそうだ)に耐え,強い力士になることだけを目指し,精進しつづける,という強い精神力を持った彼らは,同年齢の若者と比べ,非常にしっかりしているように見える。

ただ,時折みせる笑顔にあどけなさが見えるところや,私達の給仕をしながらふざけあう姿は,実年齢のままという感じを受けた。それでも一度土俵にあがると勝負の世界に生きる,一人前の力士になる。このあたりの切り替えがまさに「プロ」であった。

大学時代の友人で,相撲の大ファンがいたのだが,当時はその気持ちが全く理解できなかった。しかし今回の見学を機に,私の相撲に対する見方はがらりと変わったようである。インターネットで朝日山部屋を調べてみたり,本屋で格闘技ファンの男の人達に囲まれながら,雑誌『相撲』を立ち読みしたりしている自分に気づいて驚いた。 朝日山部屋から横綱が出ることを,心より願っている。

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朝日山親方と院生
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稽古を終えた大磐石
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兄弟子に稽古をつけてもらう大磐石
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朴淳芽

一生に一度,あるかないかの貴重な体験でした。相撲というと,テレビで見るような華々しい光景しか知らない私にとって,今回の朝稽古見学はとてもいい勉強になりました。

やはり地道な毎日の稽古があってこそ,大の晴れ舞台がある,ということを感じました。毎朝,行われる朝稽古があるからこそ,力(実力)がつき,昇進していくのだろうなぁと思いました。バレエのプリマドンナの話で,「一日,稽古を休むと自分が(いつもとちがうことに)気づくし,二日,休むと先生にもわかるし,三日,休むと観客にもわかる」という話があるけれども,相撲にしても同じだと思いました。日々の稽古の積み重ねがいかに大事か,痛感しました。

私は空手をしていた経験があり,武術(武道)をした人間のはしくれとして感じたことは,「礼にはじまり,礼におわる」ということです。その点では相撲も「相撲道」として,同じだと思いました。「道理」,「道徳」を重んじる人々であるし,そうでないと,相撲をする資格がないんだろうなぁと思いました。実際,お弟子さんのみなさん,とても礼儀正しく,清潔で,明るいのが印象的でした。長い歴史とともに繁栄してきた相撲道であるからこそ,厳しいし,でも,厳しさのなかにも暖かさがあるのだと思いました。また,厳しくなければ己を精進させることはできないし,ほんとに自分に厳しい人は他人に対してもやさしくなれるし,度量の大きい人になるのではと思いました。

以上のことは私たち日本語教育に携わる人にも充分応用できることと思いました。日本語教師たる者がどうならなければならないのか。

日本語教師も己に厳しく,学習者にも(時には)厳しく,やさしく,礼にはじまり,礼におわり,一日も休むことなく稽古(学習)し,そしてさせる,そんな日本語教師にわたしはなりたい・・・ではないけれども,目指そうと思いました。

鄭小芳

相撲部屋見学は私にとってはじめての体験です。外国人の私にとって, 日本人はなぜ相撲がすきなのか,ずっと疑問でした。あの日の稽古を見た後,なんとなくわかってきたような気がしました。相撲の世界はピラミッドのようです。ピラミッドの上に上るためには普通の人間が絶えられない苦労をしなければなりません。倒れされたら,また立ち上がって,相手に向かって戦います。それを繰り返すうちに,自己を乗り越えて,強い意志の持ち主となるー相撲の魅力はここにあるのかもしれないと私は思いました。

ちゃんこ

福島青史

ちゃんこちゃんこはたらいを思わせる鍋に肉団子,豆腐,白菜,ねぎ,しらたき,油揚げ,春菊等が所狭しと詰め込まれていた。給仕をしてくれたのは先刻まで稽古をしていた力士さんたちで,ちゃんこを作ったのも彼ら。客に女性が多かったせいかとりわけ男前の力士二人が割り振られ,何かと世話を焼いてくれた。

田中敦子

院生とちゃんこの給仕をする力士料理を作るだけでなく,給仕をし,且つ食事の間中,そばで立って待っているのを見て,相撲界の格式,上下関係の厳しさを感じた。

津花知子

土俵の前でいただくちゃんこ案内されたのは,先ほど私達が稽古を見学していた場所。そこには和式の細長いテーブルがあり,その上には大きい鍋に入れられた「ちゃんこ」が置いてあった。

「ちゃんこ」と言えば,力士が食べる鍋料理であるが,実物を見るのは初めてだ。力士を太らせるために「様々な具が入っている」という予備知識から,「おいしい闇鍋」というとんでもない想像をしていた私にとって「ちゃんこ」に対する第一印象は,「オーソドックス」であった。

鍋の中には,鶏肉と豚肉のひき肉を丸めただんご(中国にも同じようなメニューがあり,鄭ちゃん大感激),油揚げ,野菜,そしてシイタケなどが入っている。

鍋の周りには,イカのショウガ煮,揚げた山芋,鶏の唐揚げなども並べられていた。どれも,力士のみなさんの手作りという。厳しい練習の合間に料理までして,力士のみなさんは本当にえらい!

ちゃんこ当番の力士さん達が大きいお椀に入れてくれる。相撲部屋でちゃんこを食べられるだけでも,滅多にできない経験なのに,それを本物の力士さんが給仕してくれるなんて!なんだかバチが当たりそうだ…。「宮崎先生,このような機会を設けてくださり本当にありがとう」と心の中で合掌。

止まらないお代わりみな黙々とちゃんこを食べ始める。初めて食べたちゃんこは,思ったよりさっぱりしていて,ヘルシーだった。あれだけ力士のみなさんを太らせるのだから,もっと油がいっぱいでカロリーの高い物なのかと思っていた。しかし,話を聞いていて,カロリーより量が違うのだとわかった。私達10人にふるまわれた鍋2つ分が,力士のみなさんの10人分だという。ちょうど同じくらいの量だけど,私達にはとても全部食べきれない。ただ1人飯塚さんだけが,元気に何杯もおかわりし,気がつけば男性が3人いるこちら側より,飯塚さん側の料理のほうがずっと減っている。こんなに食べてもちっとも太らない飯塚さんがとても羨ましい。

私達が黙々と食べる横では,当番の大磐石関達が立ったまま控えている。練習の後で疲れているだろうに申し訳ないと思いつ,せっかくの機会なので,お話しようと思った。でも,何を話そうか?

ちゃんこの説明をするおかみさんいきなり日本語の練習法を聞くのも怪しいし,なにせ厳しいしきたりの世界なので,うっかりしたことを聞いたら失礼になりそうだ。そこで,少し無難なところでモンゴル相撲と日本の相撲の違いについて聞いてみた。

大磐石関曰く,モンゴル相撲には土俵がないので,日本のように一歩足がついたら負け,というのはないそうだ。それから地に手がついたくらいもOK,日本にくらべて大らかなルールらしい。

他にもいろいろお話してみたかったが,気のきいた質問は思い浮かばず,大人しくしていることにした。それにしてもモンゴル人の顔というのは日本人によく似ている。日本語も流暢だから,言われるまで誰も気がつかないのではないだろうか。

森口侑宇子

飯塚さんに負けず劣らずちゃんこを食べたが,白滝,豆腐,白菜,えのき,しいたけといった低カロリーの食材が多いので,お腹にもたれずおいしく食べられた。ダイエットにも適している料理だ。

肉団子がおいしく,そこから出されるエキスがスープに滲み出て尚更ちゃんこの味を引き立てているように思った。早速家でも試してみたい。

男の人が外で飲むとき若い女性のいる店を好む理由が,逆に今回女性の立場から理解できた。若いパワー全開の力士達に給仕してもらう料理の味は格別だ。

日本語習得

朴淳芽

力士の口上(?)は圧巻でした(特にモンゴル人力士の)。でも,疑問としては母語は喪失しないのかな,という点です。(先生の著書にもすこし,書いてありました が)そして,仮に彼らが母語を喪失しつつあるとしても,彼らがそれに満足しているのか,それとも,母語保持のための何か自律学習などをしているのかという点も気に なりました。(彼らの「母語観」をちょっと聞きたかったです)

田中敦子

料理のレパートリーも多いようで,その分,使う材料の名前や,調理方法についての語彙も豊富なのだろう,と推測される。また,料理だけでなく,生活全般に関する 語彙も,立場上,わからないではすまない状況だろうことから,モチベーションも高く,早い習得が想像できる。

誤用訂正はどの程度できているのか。本人はどの程度の日本語力が必要だと感じているのか(四技能の必要性など)。周りはどの程度の日本語力向上を期待しているのか。

音声から日本語に入ると,イントネーションやしぐさが日本語母語話者と比較しても違和感がないということを感じた。

福島青史

モンゴルの大磐石関は,「~っす」という若者敬語を駆使し,そのかわいらしさから熱い視線を送られていた。時折聞かれる質問にも言葉少なだが,少し首をすくめながらちょっとはにかんだ微笑を浮かべ,ちらりと視線を送ることにより,自然な雰囲気を作り出していた。

森口侑宇子

モンゴル出身だということを教えてもらうまでは,日本人力士と区別がつかないほど自然な立ち振る舞いで,日本語を話していたモンゴル人力士達の姿に改めてイマージョンの凄さを感じた。

生活に根ざしているところから着実に日本語を学習していく過程がちゃんこという一つの相撲食文化を通して推察された。(毎日の買い出し,メニューの決定,食材の選定,値段の計算,新しいメニューの開拓など)