トルコ便り「M9.0を超える力――ことば」

工藤育子

5.カイセリ・市街地にあるアクセサリーショップにて

2011年4月18日

お土産を買おうと思い,カイセリ市内のアクセサリーショップに入りました。家族同然にお世話をしてくれている方と一緒に買い物に出かけたのです。

店主のウォルカンさん,わたしのトルコの家族に
「どちらから?外国?」
「日本です。彼女,日本から旅行で。」
「ああ,じゃあ,地震が大変でしたね。津波も。」
「ええ,そのようですよ。地震の後,来たんです,こちらに。」

― 育子,この方,お見舞いを言ってくれてるんだけど。

店主は今度はわたしに向き直って話し始めました。

カイセリ・市街地にあるアクセサリーショップにて「今回の日本のことには心をいためています。本当に大変なことになりましたね。お悔やみ申し上げます。そして,お見舞い申し上げます。」
「ありがとうございます。」
「流されてしまって,いろいろなものが。子どもたちもつらい思いをしているでしょう。何かできるのなら,何でもしたいと思っているんですが。」
「もうそのお気持ちだけで。ありがとうございます。」
「そうだ,日本の子どもたちに,この店のものを好きなだけ持って帰ってもらえませんか。この店にあるようなもの,みんな喜ぶでしょう。」
「本当に,ありがとうございます。日本のことをそこまで・・・」
「どうぞ,どれが気に入るでしょうかね。子どもたちは。ぜひ,渡してあげてください。好きなだけ選んでください。それを贈りましょう。」
「ありがとうございます。お気持ち,ありがたくいただきました。」
「いえいえ,本当にです。いくつか,じゃあ,こちらで選びますね。」

そう言って,店の品を袋につめてくれました。

「これだとずいぶん少ないでしょうから。また,トルコに来ることがありますか。」
「夏休みとか,来られるなら来たいですけど,今はわかりません。まだ。」
「じゃあ,夏に来たときは,もっと持って帰ってくださいね。そのときはどのぐらい必要かわかっているでしょうから。必要なだけ全部,贈ることにしましょう。必ず,この店に来てください。」
「ありがとうございます。本当に。」

わたしに「çok teşekkür ederiz」(本当にありがとうございます。)以外に何が言えたでしょう。この場面でわたしに言えるトルコ語はほかにありませんでした。しかし,とにかく感謝の気持ちを伝えたいと思いました。わたしは,具体的に何に感謝しているのか表せるほど,トルコ語を操ることができません。

トルコ語では,わたしが感謝を言うのなら,「teşekkür ederim」(ありがとうございます。)となります。わたしたちが感謝を言うのなら,「teşekkür ederiz」(ありがとうございます。)となります。

店主にも,わたしの気持ちが伝わっているだろうと思います。わたしだけが感謝しているのではなく,日本全国からの感謝を,その代表として伝えるべきだと思い,「teşekkür ederiz」と言い続けました。

買い物が終わって,待ち合わせていた家族のひとりに
「Çarşıdan ne aldınız*?」(街で何を買ったの?)と聞かれました。

わたしは
「Türkiye'nin sevgisini aldım[*1].」(トルコの愛をもらったの。)と答えました。

店にいたのはわずか10分ほどでした。10分で,ひとりでは抱えきれないほどの愛をもらったと感じています。

[*1] almak (辞書形)・・・買う,もらう,得るなどの意味で使われています。

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