宮崎里司のオックスフォード通信 第3回
「ウズベキスタン日本語教師会 ワークショップに参加して」
今回も,オックスフォード通信 第2回で報告したBATJ同様,セミナー・ワークショップの報告であるが,早稲田大学大学院日本語教育研究科(日研)川口研究室(2期生)修了生の福島青史さん(ウズベキスタンジャパンセンター UJC日本語教育専門家)からの依頼で,中央アジアに位置するウズベキスタンのタシケント,サマルカンドに赴いた。
政治的には,旧ソ連の構成国の一つで91年に独立。トルコ系ウズベク人が8割を占め,旧共産党指導者のカリモフ大統領が長期政権を維持する,人口約2600万余りの国。歴史的には,中央アジア最古の都市で,シルクロードの一大中継地として繁栄を続け,ティムール帝国の時代に最盛期を迎えたサマルカンドがある国として名高いことでも知られる。世界有数の綿花産地で,金などの鉱物資源も豊富といった大まかな事前知識しかなかったが,さまざまな意味で知見が広がった収穫のある出張であった。
海外の日本語教育政策の成否
ワークショップは,いくつかの地域に分かれ,首都タシケントの東洋学大学と,サマルカンド外国語大学では,学生向けに,「先生が教えられること・教えられないこと」,ウズベキスタン日本センター(UJC)では,日本語教師向けに,「遠隔教育と日本語教育:海外から発信できること」,さらに同センターで,一般対象者向けに,「外国人力士はどうして日本語がうまいか」といったフォーラムをこなした。また,別の日には,UJCで,ウズベキスタン日本語教育研究発表に出席し,日本語教育研究者予備軍による,将来性のある発表を聞く機会に恵まれた。
今回は,日本語教育の非先進国で,日本語教育を展開する意義・役割について,いろいろ考えさせられた仕事でもあった。海外の日本語教育政策の成否は,さまざまな要因が絡み合い,日本との政治経済関係の良好さに比例するといった単純な計算式が当てはまるわけではない。こうした国の外国語教育を見据えるためには,より強固な理論的フレームワークを構築する必要がある。福島さんも,日々の仕事を通した問題意識の中で,言語管理理論(Language Management)に興味を持ち,その枠内で言語政策に関する問題分析に取り組んでいるようだ。現場で汗するこうした関係者に,LM理論を核として検証を続けている者として,研究の拡大を図るためのさらなる精進が必要とされる。
言語管理理論を核として
ただ,LM理論の実証及び理論研究は,日本語教育,社会言語学などの分野で,まだまだ発信が乏しく,強い影響力を持つまでには至っていない。それが,安易で未消化なままのLM批判につながっていることも見落とせない。地道な辻説法を繰り返すしかないが,同時に,批判的な態度も養いながら,さらに理論を完成させていくことが,我々の責務かと思われる。二つの言語接触のプロセス(言語を生成するプロセスと管理するプロセス)を,日本語教育の中で,どのように検証していくべきか・・・。課題は重い。
そのLM理論と関連して,ウズベキスタンで,異なる言語管理観を持つ(であろう)方々と話す機会があった。UJCで行われたセミナーで,ウズベキスタンの楠本祐一大使にご挨拶いただいたが,こうした方々は,個人的には,それぞれグローバルな視点を持つ方々として自他共に認める外交通として知られ,当然ながら,話も魅力的で学ぶところも多い。大使には,公邸に招待され,夕食を共にしたが,気配りに長けた紳士であるという印象を受けた。
ただ,こうした方々の個人的な思想や,形成されてきた座標軸は知る由もないが,公には,日本の国益に立脚した観点で,活動することが義務付けられているため,日本語教育もそうした視点で捉える傾向が強いところが,私の軸足とは異なるようだ。残念ながら,日本語を公用語として採用している国が,日本一国であることが,問題を単純にするどころか複雑化させている。私の日本語教育観には,「日本」,「海外」という明確な線引きはなく,むしろこれまでのタイポロジー(類型論)に異議を唱える立場を拠り所としている。日本語教育を推進することは,必ずしも日本の国益になるわけではない。国益に叶う場合もあるが,多くの日本語教師は,目の前にいる学習者の習得を管理しているという意識をもっているのではないだろうか。私の場合も,日本語を習得しないとインターアクション問題を解決できない,社会的文脈性を持った接触場面の中で暮らす人々への処方箋を提供するだけである。このようなカテゴリーに入るのは,留学生,就学生はもちろんのこと,バイリンガルの児童,多文化共生社会で生活する外国人労働者およびその家族,ビジネスマン,難民,中国帰国者,帰国子女,夜間中学で学ぶ外国籍の学生,年少者,短期滞在者,日系人などであろう。残念ながら,当方,国益を天秤にかけながら立ち回れるほどのセンスは持ち合わせていない。
ただ,日研を修了した院生が海外で活躍し,こうして話をしてくれと呼ばれるのは有難いものである。観光地ブハラにある,ラビハウズ(溜池)のほとりのチャイハナで,夜,ベッドのような脚付きの台がある床机に座りながら,ウォッカを片手に,名物のシャシリーク(シシカバブ)を頬張り,福島さんと遅くまで談笑した思い出が懐かしい。