宮崎里司の「プリンストン通信」 3
[2004/12/29]
11月末の感謝祭が終わると,プリンストン界隈は,本格的な冬景色の装いを始める。
プリンストン大学は,師走の第一週が終わると,冬休み休暇に入るが,一月に始まる試験期間まで,故郷への帰省組やリゾート地での休暇組,さらに,一時帰国する留学生など,過ごし方はさまざまである。
大学から程遠くない自宅アパート前の公園にある,クリスマスツリーのイルミネーションが,夜の静寂さの中で光り輝く様を見ながら,米国東部で初めて迎える年の瀬に,新しく赴く地での在外研究に思いをはせる。わずかな期間ではあったが,アメリカ北東部地域の日本語教育の多様性を伺い知ることができた。とくに滞在後半では,ニューヨークにあるJapan Society(日本協会)や,国連国際高校で開かれた,北東部日本語教師会(NECTJ)での講演,コロンビア大学の日本語クラスビジターなどの依頼を受け,参加者や学生との交流を図る中で,現地の日本語熱に触れることができた。
第1回の連載以降,取材,学会出張も兼ねて訪れた各機関を簡単に紹介しよう。
コロンビア大学東アジア言語文化学科
コロンビア大学東アジア言語文化学科[Web Site]では,現在約200名の学生が在籍しており,講師陣の,ナズキアン富美子先生や入戸野みはる先生によると,上級学年では,新聞購読が一つの目標になるとのこと。プリンストンとは異なり,ロー・スクール,MBA等のプロフェッショナル・スタディを研究する大学院生のための文献購読を中心とする専門分野別日本語教育の必要性も高まっているという。
国連国際高校
2004年に,世界111カ国から1460名の生徒を受け入れている国連国際高校は,国際連合があるマンハッタンに位置し,180名以上勤務する教員も,70以上の国と地域の出身という,まさに「国際高校」である[Web Site]。日本国籍の在籍生徒数は,アメリカに次ぎ,日本語は,第3外国語群の選択科目として,週4~5時間の授業がある。日本語担当で,先のNECTJの会長も務める津田和男先生などは,K12や,継承語としての日本語教育は,日本語教育の座標軸の中で,きちんと捉えられておらず,現状の問題点について,さらに発信していく必要があると強調していた。
日本協会
その国連国際高校からさほど遠くなく,さらに国連に近い場所にあるのが,1907年に設立された民間非営利団体のJapan Society New York(日本協会)[Web Site]である。協会内に設置されているトヨタ語学センターでは,2004年秋学期現在,延べ35の日本語クラス以外に,ひらがな,カタカナワークショップ,ウィークエンド集中コース,書道クラス,教師養成コースなども開講しており,語学教育・図書館部長である佐々玲子氏をはじめ,熱心な日本語講師陣の指導により,現在最も活動的な民間日本語教育機関のひとつとして知られている。
ETS
日本語教育機関とは異なり,思考,創造,抽象,分析,判断力といったトータルの能力を測る,全米の共通学力・適性テスト(SAT)を作成する機関である,ETS(Educational Testing Service)[Web Site]は,プリンストン郊外のニュージャージー州にある。日本語の試験問題を担当する,Harumi Baxer氏にも面会し,受験者の基準設定や試験問題作成上の留意点について,現場の苦労も交えたお話を伺ったが,日本が,多文化,多言語社会を目指していく上で,近未来型大学入学試験のモデルとなる可能性も視野に入れた検討が必要になるであろう。
バリエーションを互いに認め合う教育に向けて
私は,かねてより海外の日本語教育は,必ずしも日本型日本語教育をモデルにする必要はないと主張する立場に立脚し,そのためには,グローバル化する社会の中で,ポストモダンの特徴である,バリエーションを双方が認め合う必要があると唱えてきたが,この4ヶ月の現地視察を通して,そういった主張の正当性を改めて再認識した。年少者日本語教育に見られるように,多文化共生社会との関連を視座においた日本語教育の将来は,むしろ,海外を参考にするぐらいの思い切った視点の転換が迫られている。しかしながら,現在,アメリカの日本語教育の動向や,そこに内在する問題は,十分に発信されているとは言いがたく,一方,日本では,国内の日本語教育に関心を寄せる傾向が強い。今後は,本家意識を払拭し,双方が真摯に情報交換をする態度が望まれる。
第1回国際言語学習大会
アメリカ滞在中に,マレーシアのペナン島にある,Universiti Sains Malaysia大学で開かれた,第1回国際言語学習大会(First International Language Learning Conference 2004, The Centre For Languages and Translation主催)[Web Site]への招待講演を受け,12月半ばから,1週間ほど滞在した。
この大会では,”Issue, Practice and Challenges in Establishing a Language Learning Culture”という標題の下,英語を初めとする各国の言語教育関係者による発表が行われた。ペーパーの中では,自律学習や,自己モニター,ヴィゴツキーアプローチ,マルチメディア教材を使った学習,言語のグローバル化と言語教育など,多岐に亘る発表がなされた。多言語,多文化,他民族に加え,さまざまな宗教が,生活に強く根付くこの国で,バイリンガルの意味合いを考えさせられた学会でもあった。
過程としての“inter-identity”
最近,ポストモダン社会の中で,アイデンティティの形成について興味をもつことが多い。その理由として,オーストラリア以外の英語圏での滞在が,刺激となっていることが挙げられるかもしれないが,アイデンティティとは,確立(establishment)するものではなく,変容(transformation)するものではないかということである。残念ながら,VygotskyのZPDも,Lave and WengerのLPPも,私の読解力の範囲では,この二つの相違について,記述している箇所はないように思われる。変容する過程の中で,自己モニター,自己・他者評価といった,メタ認知的な作業を繰り返し,他の誰でもない「自分自身」を見つける。しかし,新たな環境に身を置くことで,それまでのアイデンティティが揺らぎ,変容が始まる。目標ではなく,自己の成長過程で現れる,段階的で確立されていないアイデンティティ(inter-identity)のような概念があれば,より分かりやすくなるかもしれないと思いを巡らせた。
Krashen・第二言語・自然習得。。。
また,学会とは別に,他の招待後援者であった,Rod Ellis,Alan Marleyなどと,会食の機会を持ち,お互いの研究トピックについて広く話し合うことができたことが有意義であった。とくにEllisとは,Krashenのインプット仮説をはじめとする理論の限界について,思うところを述べ合ったが,彼は,Krashenに関して,学習者の潜在能力を過小評価しすぎであり,教室場面での教師によるExplicit Knowledge(明示的な知識)だけではなく,Implicit Knowledge(暗黙の知識)の問題を看過してはならないという立場を強調していた。
この背景には,おそらく学習者がもつreadiness(レディネス)の効果について,再考すべきであるという文脈があるのではないかと解釈した。レディネスは,学習ストラテジーに代表される,学習方法についてのレディネス,学習者の母語文化と対象言語文化の相違への対応に関する,異文化適応についてのレディネス,そして,既習レベルによって,既に学習または,習得している目標言語についてのレディネスといった下位項目に分類されるが,こうしたレディネスと,教師のインプットによる相乗効果で,学習効果がもたらされるのであり,学習者の習得は,決して教師だけの「教育」による結果ではないことを強く認識すべきである。 i + 1という公式からは,教師からの働きかけ方は見えるが,学習者がどのように処理するかは見えてこない。Krashenは,むしろ批判対象とすべき理論の提唱者としての存在意義はあるのではといった話になり,北インドレストランで出された,心地よい辛さの料理と冷えたビールの取り合わせに舌鼓を打ちながら,別の意味でKrashenの再評価(?)に至った。
加えて,Ellisは,「外国語」,「第二言語」としての英語という区別は,そろそろ限界があり,相応しい呼称ではない,といった立場を支持していた。私も,これからの日本語教育のコンテクストでは,「外国語」,「第二言語」といった単純な枠組みでは,捉えきれない複雑さと向き合う必要があるのではないかと漠然と感じていたが,これについてもお互い共通認識が確認できてよかった。日本語以外の他言語では,「継承語」(ユダヤ人のための継承語教育),「民族意識」(バスク語,グルジア語など,旧ソ連邦で,現在の独立国家の言語),「宗教活動」(イスラム教の流布を目的としたアラビア語教育)といった,これまで注目されなかった目的をもった言語教育が行われている。
さらに,Alan Maleyとも,自然習得について意見交換したが,「教室外での習得を,すべて自然習得であると断定してしまう捉え方は乱暴であり,教室場面でも,学習者は無意識に,目標言語のある項目を習得しているはずである。教室での習得が,すべて教師の手柄ではないはずだ」という従来の考えを披露したところ,「それは,当然だ」という見解を示し,同調してくれた。具体的な活動については,言及する時間がなかったが,彼との話しあいの後,「教室外同様,自然習得の機会を増やす,教室内インターアクション・アクティビティをデザインすべきではないか」と帰結するに至った。これまで,ビジターセッション,ゲスト・スピーカーセッション,イマージョンプログラム,ランゲージバディ(language buddy)などを,日本語教育に導入してきたが,それらは,教師の管理下による習得を減らし,むしろ,学習者が,意識,無意識のもとに,自然習得の機会を増やす試みであったと再認識した。ただ,両氏とも,誰が習得の管理者になるべきかといった概念は持ち合わせていなかったため,説明,応答すべてに納得したわけではないが,初会で,おおよその一致を見た点では,収穫があった。
ペナン日本語協会
滞在最終日には,ペナン日本語協会に招かれ,ペナン及びその近郊で日本語を教える,現地の日本語教師の勉強会で話をした。1982年に設立されたこの協会は,現在400人を超す学習者が,初級から上級の各レベルで,日本語を学んでいるが,他の活動として,年に2回,国際交流基金クアラルンプール日本文化センターと協力して,ペナンがある北地区の教師に対する,キャラバンを実施している。国ごとに事情は異なるものの,海外で教える教師が抱える悩みに対し,どのような処方箋を作ればよいのか,いつも考えさせられる。とくにマレーシアでは,公用語であるマレー語のほかに,英語,中国語という優先言語が存在するが,そこに人種の優先が絡み合い,複雑な社会構造を紡いでいる。日本語は,その他に学ぶ言語として位置づけられているため,学習者のreadinessは,ある程度整っているとは見られるものの,他の国と同じように,「外国語としての日本語学習」という単純な図式は描けないかもしれない。
アメリカでの研究期間も終わりに近づいた。Time Fliesとはよく言ったもので,2005年の5月末まで,モナシュ大学に拠点を移し,オーストラリアの日本語教育事情を発信する予定である。