特派員報告@長春

木村かおり

1.日本でやりたいこと,日本での夢,そして日本に願うこと

2010年春,私は中国の吉林省長春市の予備教育機関に赴任する話をもらった。マレーシアの日本語教育の現場を研究フィールドにしている私であるが,政府間の留学プログラムという共通性に興味を持ち,この仕事を引き受けた。

ただ,中国で日本語教育を行うということにはずっと抵抗を感じていた。自分には務まらないと考えていたからだ。というのは,中国と日本の関係が,「子どもの喧嘩に親が口を出す」という状況だったからだ。子どもの喧嘩は市民レベルの関係を指し,親とは政府レベルを指している。関係を喧嘩と呼んだのは,喧嘩を肯定的に捉えているからだが,どうも親が子どもの喧嘩をコントロールしようとしたり,変な見栄を張っているように感じる。未だ子どもたちは,互いの真の姿が分からず,子どもたちの間に相互関係が生まれていない。この相互関係のない中国に赴いて,日本語教育を行うことに非常に不安であったからだ。

翌2011年3月22日我々日本人教員が夜到着したにもかかわらず,予備教育機関の教員団が熱烈歓迎で迎えてくれたのとは違い,翌日の長春では,町の人から笑顔も声もかけられることもなかった。むしろ,身の回りの買い物をスーパーで手際悪くやっていると,「この世に中国語が分からない人間がいるなんて!」と怒鳴られているように感じた。

学校でも,学生は積極的には授業に参加してくれないであろう。こう考えたのは,次のような点からである。ここに在籍するのは,日本に国費で博士後期課程に進学しようという全国から集まった90名ほどの学生であるという点。日本語の修了試験のために,ひらがなから始めてほぼ9か月で,中級レベルの日本語を習得せねばならないという点。学生の三分の二以上は,日本に留学して英語で論文を書くという点。研究科によっては,研究生活を英語で過ごせる学生も多いというような点である。

つまり,学習時間は非常に限られているのに,詰め込まなければならない日本語がある。しかし留学後には特殊な研究生活条件が待っている。そして高学歴で,ある程度の年齢に達した学生である。このような学生が,語学教師の授業を聞いてくれるのか。折も折,東日本大震災後で,中国人の留学生はどんどん日本から帰国しようとしている。どれだけ,日本語を学ぶことに興味を持ってくれているのか。不安は高まった。

到着から数日後,本格的に日本人教員の授業が始まった。やはり,学生は淡々と授業を聞いている。さらに食事はおいしいと思うのだが,週に4日は,胃腸の調子が悪い状態。町は非常に埃っぽく,喉が弱くアレルギーのある私は,マスクとサングラスが外せない。何かにつけ,暗い気分であった。

しかし私にはすべきことがある。「まだ受け入れられていない日本を学生に伝えるのだ」「日本人がなぜ,このことばを使うのか。日本人の表現にどんな思いがあるのか。普通の日本,中国に誤解されていない日本を伝えなければ…」私はこんな熱い想いを持って来ているのに,私と学生との間にある日本に関わる共通点は,「ことばの習得」しかない…そんな気がしていた。

しかしよく考えると,私は長春に慣れるのに時間がかかって,「学内で,ことばを伝える環境を作れるのは教師だ」という事実をどこかに置き忘れていた。私は,学生が自分の言葉を伝えられる環境を十分に準備していなかった。「ことばの環境を作る」という作業を怠っていては,スーパーで私に怒鳴る店員を変わらなかった。学生の方が慣れないことばを操らなくてはならないもどかしさに悩んでいただろう。

そこで,「私」を発信できることにこだわった創作活動を限られた時間の中で行うことにした。彼らには日本のことを知ってほしいからこそ,まず日本語で中国人の自分を発信してほしい…。そんな風に授業準備を見直す余裕ができてきた4月12日の月曜日,学生たちから「金曜日に歓迎会をするので,私たちに日本語の歌を教えてほしい」と声をかけられた。

この特派員報告には,その歓迎会の様子と孔子と共にある学生たち(木村の担当班の学生18人)の写真を紹介したい。

先述したように,私は日本語の勉強に明け暮れる学生たちに「日本語で中国人の自分を発信してほしい」と考えた。さらに「今,自分は,日本語の練習でなく日本語を使っているだ」と感じてほしいと考えたため,表現活動の一つとして,私はこの特派員のページに学生の文を載せることにした。誰に何を目的として日本語を使うのかという具体性が見えることが,学生らの日本語使用実感につながり,日本語学習のモチベーションになると考えたからだ。

まず学生たちに「日本でやりたいこと・日本での夢」を簡単に書いてほしいと伝えた。次に「その文章は,学生から日本語教育関係者へのメッセージとする」と言った。学生らが日本留学を目指して勉強してくれることが,日本語教育関係者にとって,何よりものメッセージだとも言った。

学生たちは,夢に併せて温かいメッセージもくれた。学生のほとんどは,日本語を勉強し始めてまだ半年だ。これらのメッセージは担当クラスの学生に声をかけたが,任意参加で掲載を承諾した学生たちから集めた。学生たちは,授業時間が終わってもまだ,慣れない手つきで日本語入力をしていた。日本で彼らに会ったら,ぜひ温かく迎えてほしい。きっと皆さんと会うとき学生たちは,巧みに日本語を操っているはずだ。

「日本でやりたいこと,日本での夢,そして日本に願うこと」

私は,今日本の博士号を取れるように頑張って

私は,今日本の博士号を取れるように頑張っています。そして,順調に修了できるように願っています。実は,福岡へ行ったことがありますが,北海道はまだ行ったことがありません。北海道の花畑はすごく綺麗なところだと聞きましたから,ぜひ行きたいなあと思っています。

*^^*  孫 承夏より

わたしは日本でやりたいことが多いです

わたしは日本でやりたいことが多いです。わたしの専門は地震工学です。日本で地震が多くて,防震技術が進んでいます。一番やりたいのは京都大学の防災研究所で博士号を取ることです。いい博士論文を発表したいです。そして,わたしは日本の友達にたくさんなりたいし,日本料理の作り方も学びたいです。富士山に登ったり,北海道へ旅行に行ったりしたいです。    李小華

僕は日本へいって順調に研究を進めて

僕は 日本へいって,順調に研究を進めて,学位を取れるように願います。そして,暇な時,日本一周旅行をして視野を広げて,日本の方の長所を習いたいです。将来,両国のスムーズな交流に貢献します。  胡 蓮成 より

日本へ行ったら一番やりたいことは

日本へ行ったら,一番やりたいことは日本の歴史とか文化とか理解使用。日本の文化は特徴があります。例えば,日本は神社が多いです。京都や奈良や古いお寺たくさんあります。この古い建築物から日本の文化と歴史を知るように希望しています。

次に,私の専門についてです。日本の図書館とか博物館とかは中国について書籍と歴史の資料を保存しています。この資料は珍しいですが,ほとんど中国で見られません。私はそれを見たいですよ。

日本の研究者が中国についての研究はほかの国のよりすばらしいです。日本の先生から知識習うに願っています。  孟燁より

日本へ行ったら,まず,進んだ技術と知識を習おう

日本へ行ったら,まず,進んだ技術と知識を習おうと思います。専門の材料工学は現代の工業に大切だと思います。修了時,いい論文を出して,大きな成果をあげるつもりです。ほかに,日本の文化の旅をしようと思います。日本語を学んで,自由に日本人と交流できるようになりたいです。刺身とか,寿司とかすき焼きのような食べ物を食べよう。歌舞伎や相撲のような面白い活動を見ようと思います。

鄧 興瑞

日本へ行って,国際法の研究を

孫為為です。日本へ行って,国際法の研究をするつもりです。そのテーマを研究するのに,いい方法や日本語が必要です。今は,そのために,頑張っています。研究のほかに,日本文化と日本人の生活が理解したいです。だけど,先月の大地震と大津波は日本人の生活を壊しました。残念ですね。私は日本と日本人が早く元気になるように祈ります。日本,頑張ろう!

日本のニュースを聞いて,災害が恐ろしかったです

日本のニュースを聞いて,災害が恐ろしかったです。日本にいる皆さんは心が強いです。私はとても感動しました。日本が好きだという気持ちが変わりません。私は心から皆さんがこれから元気になるように祈っています。  鄭小娜

ニュースで大地震と津波で

ニュースで大地震と津波で大勢の日本人も負傷し,親を亡くした子供も多くいたことを知りました。とても悲しいと思っています。私たちは今長春で,日本から来た木村先生に日本語を習っています。先生が自分の仕事に非常に努力している様子に感心しています。日本が今の震災や放射能汚染という困難を乗越えられると信じています。日本の人々が早く元の生活に戻れるように望んでいます。がんばろう日本!  張暁菲 より

東北地方で大きい地震と津波があった

東北地方で大きい地震と津波があったということを知りました。とても大変ですね。日本人の生活が早く正常に戻るように願っています。町の再建がうまくいくように祈っています。意志が強靭である日本の友人はきっと災害に勝ちますよ。頑張りましょう。

私は日本で生物学を研究するつもりです。今年の10月東京大学へ勉強に行って,指導教官に大量な知識と技術を習って,うれしです。そのときから4年間ぐらい日本で勉強して,博士学位を取って,大学院に教授になるつもりです。日本の文化と風儀を了解したいです。そして,日本でいろいろなところ見物するつもりです。多い日本人が友達になって,両国人民の友情を促進したいです。 揚斌

東京にいる研究室の皆さん,こんにちは

東京にいる研究室の皆さん,こんにちは,胡曜と申します。今,中国の長春に木村先生の指導に従って,日本語を勉強しています。今年の十月に早稲田大学に留学に行く予定です。ですから,皆さん,よろしくお願いいたします。

さて,東日本大震災の影響で皆さんは元気が出られないかもしれないと思っています。でも,日本人はねばり強いで,必ずそんな自然的な災害に負けるわけがないと信じます。目下の困難はただ一時的なものですから,皆さん,元気を出して,前向きに頑張って進んでください。

私も,皆さんと一緒に努力します。木村先生はすばらしい日本語の教師で,いつも親切にしてくれて,誠にありがとうございます。将来の日本での研究と生活のために,私はぜひ必死に日本語の語学力を向上させます。日本に行ってから,皆さんの元気いっぱいな笑顔を見たいですよ。

最後に,再び,皆さんが元気になるように願ってやみません。