トルコ便り「M9.0を超える力――ことば」

工藤育子

10.4月7日,アンカラ・夕食,大使館勤務の友人と

2011年4月24日

- 本当に,大変でしたね。心からお見舞い申し上げます。

「避難所で生活している方に,誰か小さいお子さんのいるお母さんなど,知り合いはいませんか。」
「直接の知り合いは・・・」
「じゃあ,これから知り合うことになったら,ぜひ伝えてくださいね。」
「はい。」
「わたしの家なら空いていますから。どれだけいてもらってもいいですから。」
「ありがとうございます。必ず,伝えます。」
「ひとりでもそのような方がいれば,すぐ知らせてくださいね。」
「はい。」
「うそじゃないんですよ。本当ですよ,これ。」

トルコでホームステイするとなれば,手続きに多少時間がかかるのかもしれません。しかし,“必ず”と約束したのは,偽りなく,どうにかして彼女の発した「ことば」そのままを伝えたいと思ったからです。今の生活の不安からいったん離れようと訪土を真剣に考える方がいるかもしれません。

そして,“必ず”にはもう一つの意味を込めました。彼女の「ことば」にある思いを日本に伝えたいと強く思ったのです。

「日本を心配しているのは,わたしたちトルコ人の中で,日本に関わっている人だけじゃないんです。何人もの友達から,電話がありましたよ。あなたの日本が大変なことになっているとお見舞いを言ってくれたんです。」

日本や日本語を身近に感じて生活している彼女が窓口になって,その奥につながっている無限の広がりを見つけました。彼女の背後にある無限はわたしたちの力強い味方です。

「ことば」は音や文字で表されたもの,それひとつに見え,ある場面でのある「ことば」には対応するひとつの意味があると考えていましたが,自分が発した「ことば」をよく見てみると,複数の意味が浮かび上がってくることに気が付きました。わたしたちの生活の中で理解し,表現されている「ことば」は,複雑に,それが示すものが多重に折りたたまれているということでしょうか。

友人からのお見舞いの「ことば」にも,彼女だけが発したのではなく,実は,具体的に大勢の方からの声が含まれていると考えられます。「ことば」が大きなエネルギーを持っていると感じるのはそれ故でしょうか。

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