トルコ便り「M9.0を超える力――ことば」

工藤育子

9.4月15日,つながるのは目の前の人とだけでなく

2011年4月20日

4月1日,イスタンブルでヴィクトリアというベラルーシから来ている女性と知り合いになりました。福島原発に関連して,再びチェルノブイリのニュースを検索したこともあって,記憶に新しい地名です。

大変でしたね。日本の状況は悪いでしょう。今は放射能のことも。
わたし,ミンスクにいたんです。3歳の頃です。でも,何も知らされなくて。
多くの人が癌です,今も。

そういえば,放射能汚染の程度を示す図版を見たとき,ミンスクが高濃度であったことを思い出しました。

2週間後,アンカラ大学,アイシェヌール先生の研究室で一冊の本を手にしました。数ある日本の本の中からなぜそれを開いてみようと思ったのかわかりませんが。

『雪とパイナップル』という題名です。チェルノブイリ事故後のベラルーシ,放射能で病気と闘うことになった少年と家族,看護婦の交流を描いた絵本です。現地で医療活動を行った鎌田實医師が書いたものでした。

- ヴィクトリアはここにいたんだ。

「希望はあるものではなく,つくるものなのかもしれない。希望があれば絶望のなかを人は生きていけると思った。」作品の一節です。この「ことば」に,大きな後押しをもらった気がしました。わたしは「希望」がつくりたかったのかもしれない。トルコからの声援はすべて日本で「希望」に変わると感じたから,届けようと思いついたのか,もしかして。

鎌田医師の言う「希望」とわたしの感じた「希望」は同じ意味かといえば,そうではないと思います。「希望」ということばが生まれるまでにたどった道は,時間も空間も異なりますから。けれども,鎌田医師の「希望」の意味がよく理解できたと感じています。背景に共有できる本質のようなものがあるのかもしれません。それで,わたしは自分がしようとしていることの中核を,鎌田医師の「ことば」を借りて,「希望」と名付けようとしたのではないでしょうか。

ひと月のトルコ滞在終盤になって,ようやく訪土の目的が明確になってきたように思います。

<< 目次へ< その8へその10へ >