福村真紀子(ふくむら まきこ)

17期生:2009年春入学

業績

論文

  • 福村真紀子(2011).『参加者の「主体性」を生かす「日本語活動」とは何か――親子日本語サークル「にほんご あいあい」の実践から見えたこと』早稲田大学大学院日本語教育研究科修士論文(未公刊)[概要書].

発表

  • 林亜友美,菅原るり,安藤宴子,塩島弥生,福岡順子,福村真紀子,細谷仁美(2010年8月).「省察による設計者の理念と実践の変容 ―『にほんごわせだの森09秋』の実践報告から」日本語教育学会世界大会ポスター発表(台湾:国立政治大学).
  • 福村真紀子(2010年9月).「協働的対話による『地域日本語活動』の意味 ―『にほんご あいあい』の立ち上げと実践」第35回日本語教育方法研究会ポスター発表(名古屋:金城学院大学).
  • 福村真紀子(2010年9月).「『参加者主体の場づくり』とは何か ―『にほんご あいあい』における実践者の変容」早稲田大学日本語教育学会(東京:早稲田大学).

報告等

修了後の私

修士課程修了間近の2011年3月11日,東北で大震災が起こりました。東京にいる私もかつてない大きな揺れを経験しました。その日は,「大きな地震」にショックを受けたに過ぎませんでしたが,日に日に明らかになる大惨事に信じられない思いでした。今(2011年4月5日)も被災地の状況や原子力発電所の事故の影響をニュースで見るにつけ,心の動揺を覚えます。

地震が原因で大学院の同期の留学生たちが次々に母国に帰り,楽しみにしていた修了式も中止となり,先生方と同期の仲間たちにちゃんとお礼とお別れができないまま今に至っています。日本に住んでいた外国人たちの出国ラッシュが始まり,日本に学びに来る予定だった留学生たちのキャンセルも増えていると聞きます。この先,日本語教育はどうなってしまうのだろうと心配がつのります。

しかし,悔しい,哀しい,不安だ,という状況の中にも,私は日本語教育実践者としての役割と希望を見出しました。それは,私の身近にいる外国に繋がる人たちが,私を頼りにしてくれたという事実です。福島の原発事故直後,放射能による大気汚染が懸念されていたとき,日本語のニュースが理解できない方から(その人とは一度も会ったことも話したこともなかったのですが)「今,外に出ても大丈夫でしょうか?」と電話で尋ねられました。なぜ私がそのような質問を受けたかというと,私が主催する親子日本語サークル「にほんご あいあい」の広告を見たその方の友人が,私を紹介したからでした。また,「どうして,急にみんなスーパーに行って,たくさん買い物しているんですか?わからない…」と,買い占めの現場を見たサークルのメンバーからも電話がありました。私は,自分が知り得る限りの情報をその人たちに伝えました。

地震後,交通機関の混乱により一度サークル活動を休みましたが,「どうして?」とお休みを残念がるメンバーがたくさんいました。そこで,みんなが不安な時こそ,サークルの活動を開いて,不安な気持ちを「日本語活動」で共有しなくてはいけないのだと思いました。そして地震後初めての活動日には,「外に出ても大丈夫か」と電話をかけてきた人が,小さい子どもを連れて初めてサークルにやってきました。笑顔で来てくださったので,安心しました。

2年間の修士課程を終えても,修士論文を書き終えても,私にはまだまだ勉強しなくてはならないことがたくさんあります。日々の生活は動態的で,流動的です。実践には何が必要なのか,私は何をすべきなのか,と考え続ける必要があります。でも,一人で考えたって答が見つかるはずがなく,答は,実践の中にいる人たちが教えてくれます。ゆっくりと,時間をかけて。

このように,修士課程の修了後,私は「にほんご あいあい」を継続しています。

そして,早稲田大学日本語教育センターのインストラクター(非常勤)としての出番を待っています。大学では留学生が対象ですが,留学生も「にほんご あいあい」の参加者も,同じ「日本語活動」を私と共有するメンバーであることに変わりがありません。勉強はまだまだ終わらないけれど,2年間自分がやってきたことを信じて頑張っていくしかないと思っています。