地域日本語教育演習(池上ゼミ)
講読論文一覧
池上研ゼミ(地域日本語教育演習 II)で講読した論文のリストです。ゼミで扱うテーマの参考にしてください。
2014年度秋学期
- 菊池久一(1995).〈意識化〉と識字――パウロフレイレ『〈識字〉の構造――思考と抑圧する文字文化』(pp. 49-74)勁草書房.
- 石黒広昭(2004).学習活動の理解と変革にむけて――学習概念の社会文化的拡張:学習活動の媒介性,学習のヴィコツキアン・エスノグラフィー『社会文化的アプローチの実際――学習活動の理解と変革のエスノグラフィー』(pp. 13-22)北大路書房.
- 森下雅子(2007).フィールドと調査者の共振――地域における日本語支援の現場を例にして『実験社会心理学研究』46(2),162-172.http://doi.org/10.2130/jjesp.46.162
- 本間祥子(2013).複数言語環境にある親子はことばの学びをどのように捉えていたか.川上郁雄(編)『「移動する子ども」という記憶と力――ことばとアイデンティティ』(pp. 220-238)明石書店.
- 瀬尾匡輝(2012).日本語教育の地域化――香港における現状からの考察『日本学刊』15,19−28.http://www.japanese-edu.org.hk/jp/publish/gakkan/gakkan15.html
- 三代純平,鄭京姫(2006).「正しい日本語」を教えることの問題と「共生言語としての日本語」への展望『言語文化教育研究』5,80-93.http://alce.jp/journal/vol05.html
- 広瀬和佳子,尾関史,鄭京姫,市嶋典子(2010).実践研究をどう記述するか――私たちの見たいものと方法の関係『早稲田日本語教育学』7,43-68.http://hdl.handle.net/2065/29804
- 三代純平(2013).「個の文化」探求としての言語文化教育研究――ライフストーリー研究と実践研究の経験を通じて『言語文化教育研究』11,2-12.http://hdl.handle.net/2065/38991
2014年度春学期
- 関根和生(2010).幼少期における発話産出に寄与する身振りの役割『質的心理学研究』9,115-132.
- 牲川波都季(2006).「共生言語としての日本語」という構想――地域の日本語支援をささえる戦略的使用のために.植田晃次,山下仁(編)『「共生」の内実』(pp. 107-135)三元社.
- 田邉裕理(2009).学校に通うことができないJSL生徒のことばの学びをどう捉えるか.川上郁雄(編)『「移動する子どもたち」の考える力とリテラシー――主体性の年少者日本語教育』(pp. 219-236)明石書店.
- ドーア根理子(2008).通じることの必要性について――標準化のイデオロギー再考.佐藤慎司,ドーア根理子(編)『文化,ことば,教育――日本語/日本の教育の「標準」を越えて』(pp. 63-82)明石書店.
- 田中望(1996).地域社会における日本語教育.鎌田修,山内博之(編)『日本語教育・異文化間コミュニケーション――教室・ホームステイ・地域を結ぶもの』(pp. 23-37)北海道国際交流センター.
2013年度秋学期
- 関根和生(2010).幼少期における発話産出に寄与する身振りの役割『質的心理学研究』9,115-132.
- 牲川波都季(2006).「共生言語としての日本語」という構想――地域の日本語支援をささえる戦略的使用のために.植田晃次,山下仁(著)「共生」の内実』(pp. 107-135)三元社.
- 森本郁代(2001).地域日本語教育の批判的再検討――ボランティアの語りに見られるカテゴリー化を通して.野呂香代子,山下仁(編)『「正しさ」への問い――批判的社会言語学の試み』(pp. 215-247)三元社.
- 田邉裕理(2009).学校に通うことができないJSL生徒のことばの学びをどう捉えるか.川上郁雄(編)『「移動する子どもたち」の考える力とリテラシー――主体性の年少者日本語教育』(pp. 219-236)明石書店.
- ドーア根理子(2008).通じることの必要性について――標準化のイデオロギー再考.佐藤慎司,ドーア根理子(編)『文化,ことば,教育――日本語/日本の教育の「標準」を越えて』(pp. 63-82)明石書店.
- 田中望(1996).地域社会における日本語教育.鎌田修,山内博之(編)『日本語教育・異文化間コミュニケーション――教室・ホームステイ・地域を結ぶもの』(pp. 23-37)北海道国際交流センター.
- 中山亜紀子(2010).言語学習者のライフストーリーをめぐっての覚書――言語習得(使用)という複雑な現象『佐賀大学留学生センター紀要』9,91-103.
- 鄭京姫(2011).「自分らしさ」を規定するもの――複数の〈わたし〉を語る一人の日本語学習者のライフヒストリーから『言語教育とアイデンティティ――ことばの教育実践とその可能性』(pp. 159-178)春風社.
- 平畑奈美(2008).アジアにおける母語話者日本語教師の新たな役割――母語話者性と日本人性の視点から『日本語教育論集 世界の日本語教育』18,1-19.http://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/archive/globe/18/report.html
- 田中里奈(2013).日本語教育における「ネイティブ」/「ノンネイティブ」概念――言語学研究および言語教育における関連文献のレビューから『言語文化教育研究』11,95-111.http://hdl.handle.net/2065/38981
2012年度春学期
- 石井恵理子(2011).共生社会形成をめざす日本語教育の課題.馬淵仁(編)『「多文化共生」は可能か――教育における挑戦』(pp. 85-105)勁草書房.
- 周萍(2009).地域の日本語教室をやめた中国人学習者のケース・スタディ『阪大日本語研究』21,129-150.http://ir.library.osaka-u.ac.jp/meta-bin/mt-pdetail.cgi?cd=00037982
- 品田潤子,池上摩希子,中河和子,嶋田和子(2012).「社会型日本語教育」を担える人材とは――教師教育の視点から『2012年度日本語教育学会春季大会予稿集』65-76.
- 米勢治子(2006).外国人住民の受け入れと言語保障――地域日本語教育の課題『人間文化研究』4,93-106.http://ci.nii.ac.jp/naid/110005857936
- 髙野雅夫,春原憲一郎,田中望(2012).奪われた文字とコトバを奪い返す.田中望,春原憲一郎,山田泉(編)『生きる力をつちかう言葉――言語的マイノリティーが〈声を持つ〉ために』(pp. 3-62)大修館書店.
- 徐京植,田中望(2012).越境者にとっての母語と読み書き.田中望,春原憲一郎,山田泉(編)『生きる力をつちかう言葉――言語的マイノリティーが〈声を持つ〉ために』(pp. 63-104)大修館書店.
- 向谷地生良,川村敏明,春原憲一郎,田中望(2012).弱さがもたらす豊かなコミュニティー――浦河べてるの家の降りていく挑戦.田中望,春原憲一郎,山田泉(編)『生きる力をつちかう言葉――言語的マイノリティーが〈声を持つ〉ために』(pp. 105-142)大修館書店.
- 上農正剛,田中望,春原憲一郎,山田泉(2012).聴覚障害者にとっての真の言葉とは.田中望,春原憲一郎,山田泉(編)『生きる力をつちかう言葉――言語的マイノリティーが〈声を持つ〉ために』(pp. 143-213)大修館書店.
2011年度秋学期
- 鄭京姫(2010).「二分化された日本語」の問題――学習者が語る「日本語」の意味に注目して『リテラシーズ』7,1-9.http://literacies.9640.jp/vol07.html
- 池上摩希子(2011).地域日本語教育の在り方から考える日本語能力『早稲田日本語教育学』9,85-91.http://hdl.handle.net/2065/31753
- ガーゲン,K.J.(2004).東村知子(訳)『あなたへの社会構成主義』ナカニシヤ出版(Gergen, K. J. (1999). An invitation to social construction. London, Thousand Oaks, New Delhi: Sage.).
- 富谷玲子(2010).地域日本語教育批判――ニューカマーの社会参加と言語保障のために『神奈川大学言語研究』32,59-78.http://hdl.handle.net/10487/5950
- 貞松明子(2011).佐賀県における初期日本語指導の教育実践――初級日本語集中講座(研究会「日本語教育の公的保障と教育支援システムを考える」配布資料,2011年9月25日開催).
2011年度春学期
- 朱桂栄(2003).教科学習における母語の役割――来日まもない中国人児童の「国語」学習の場合『日本語教育』119,pp. 75-84.
- 湯川笑子(2006).年少者教育における母語保持・伸長を考える『日本語教育』128,pp. 13-23.
- ヴィゴツキー(2005).第2章 教育の生物学的要因と社会的要因『ヴィゴツキー教育心理学講義』新読書社, pp25-39.
- ヴィゴツキー(2005).第4章 情動的行動の教育『ヴィゴツキー教育心理学講義』(pp. 62-80)新読書社.
- ヴィゴツキー(2005).第8章 労働教育の心理学『ヴィゴツキー教育心理学講義』(pp. 168-194)新読書社.
- ヴィゴツキー(2005).第12章 心理学と教師『ヴィゴツキー教育心理学講義』(pp. 275-291)新読書社.
- ヴィゴツキー(2005).附章 学童における生活的概念と科学的概念の発達『ヴィゴツキー教育心理学講義』(pp. 292-315)新読書社.
さらに,文献講読をしなかった回は,学会発表内容の検討,修論の中間報告と検討を行った。
2010年度秋学期
- 堀井惠子,奥田純子,粟飯原志宣(2010).社会につながる豊かな人材育成のためのビジネス日本語教育の課題を整理し,デザインを試みる『2010年度日本語教育学会秋期大会予稿集』(pp.45-56)日本語教育学会.
- 菊岡由夏,神吉宇一(2010).就労現場の言語活動を通した第二言語習得過程の研究『日本語教育』146,129-143.
- 鹿浦佳子,武田千恵子(2000).ホームステイの功罪とホームステイプログラムへの提言『関西外国語大学留学生別科日本語教育論集』10,33-50.
- 高橋朋子(2009).中国帰国の子どもたちを支える視点.高橋朋子『中国帰国者三世四世の学校エスノグラフィー――母語教育から継承語教育へ』(pp.208-228)生活書院.
- 矢崎満夫(2004).外国人児童と日本人児童のインターアクションのための日本語支援――教室内ネットワーク形成をめざしたソーシャルスキル学習の試み『日本語教育』120,103-112.
- 川上郁雄(2011).「移動する子どもたち」のことばの教育とは何か.川上郁雄『「移動する子どもたち」のことばの教育学』(pp.3-27)くろしお出版.
- 八木真奈美(2006).多言語使用と感情という視点からみるある「誤用」『WEB版リテラシーズ』3(2),1-9.http://literacies.9640.jp/vol03.html
2010年度春学期
- 杉浦千里(2010).学生の「自発」を引き出す授業の「仕掛け」―『日本語演習Ⅰ』の授業報告『筑波大学留学生センター日本語教育論集』145-154.http://hdl.handle.net/2241/104748
- 尾崎明人(2002).日本語教師のエンカレッジメントとディスカレッジメント.細川英雄(編)『ことばと文化を結ぶ日本語教育』(pp.188-203)凡人社.
- 藤田美佳(2003).乳幼児と共に学ぶ地域日本語教室の可能性――秋田県のしろ日本語学習会の取り組みをもとにして『国際教育評論』1,28-43.
- 西口光一(2008).市民による日本語習得支援を考える『日本語教育』138,24-32.
- 齋藤恵(2009).日本語学習初期段階の子どものための『書ける』授業づくり ―『発信』を重視したジャンル・アプローチの試み.川上郁雄(編)『「移動する子どもたち」の考える力とリテラシー――主体性の年少者日本語教育学』(pp.84-106)明石書店.
- 富谷玲子(2010).地域日本語教育批判――ニューカマーの社会参加と言語保障のために『神奈川大学言語研究』32,59-78.http://hdl.handle.net/10487/5950
- 斎藤恵(2006).適応支援としての年少者日本語教育の役割――JSL児童生徒の「行為主体性」をどう捉えるか『早稲田大学日本語教育研究』8,37-50.http://hdl.handle.net/2065/5804
- 松田真希子(2005).現職日本語教師のビリーフに関する質的研究『長岡技術科学大学――言語・人文科学論集』19,215-240.
- ドーア根利子(2008).「通じること」の必要性について――標準化のイデオロギー再考.佐藤慎司,ドーア根利子(編)『文化,ことば,教育――日本語/日本の教育の「標準」を超えて』(pp.63-82)明石書店.
2009年度秋学期
- 榎井緑(2009).共生のトポス〈82〉小学校『外国語活動』を考える(前篇)『解放教育』494,91-96.
- 榎井緑(2009).共生のトポス〈83〉小学校『外国語活動』を考える(後篇)『解放教育』495号,111-117.
- 林さと子(2005).「学習環境」からみた日本語教育『言語』6月号,50-57.
- 石井恵理子(1997).外国人配偶者に対する日本語教育の連携――地域における日本語教育『日本語学』16(6),162-168.
- 新庄あいみ(2006).多言語・多文化社会における地域のボランティア日本語教室をめざして――接触場面にみるインターアクションの観点から『大阪大学留学生センター研究論集 多文化社会と留学生交流』10.
- 田邉裕理(2009).第10章 学校に通うことができないJSL生徒のことばの学びをどう捉えるか『「移動する子どもたち」の考える力とリテラシー――主体性の日本語教育学』(pp.218-236)明石書店.
- 三代純平(2008).「対話の場」としての日本語教室の意義――韓国の外国語高校における授業実践から考えたこと『ことばの教育を実践する・探求する――活動型日本語教育の広がり』(pp.206-221)凡人社.
- 伊藤健人(2009).地域日本語教育――取り組むべき課題は何か『日本語学』9月号.
- 文野峯子・石上文正・岡良和・浜田麻里・林さと子・福永由佳・宮崎妙子(2004).I.はじめに,III(研究方法).1.学習者はどのような相互作用を行っているか,4.非対人環境〈テレビ〉との相互作用――日本語学習と社会参加,5.環境の意味づけの違いについて,6.沖縄地域における環境調査,V.資料『日本語学習者と環境との相互作用に関する研究』平成13~15年度科研費報告書.
- 八木真奈美(2004).日本語学習者の日本社会におけるネットワークの形成とアイデンティティの構築『質的心理学研究』3.
- 福田泉(2008).地域の日本語教室に含まれる対話の機会――「母語話者と非母語話者の接触場面」という安全な枠組みの再考『小出記念日本語教育研究会』16.
- 細川英雄(2006).対話の思想――日本語教育における教室の生成をめぐって『早稲田大学日本語教育センター紀要』19.
- 青木直子(2008).日本語を学ぶ人たちのオートノミーを守るために『日本語教育』138.
- 佐藤群衛(2008).外国につながる子どもの学習支援ネットワークの構築『シリーズ 多言語・多文化協働実践研究4【佐藤・金班】07年度活動 外国につながる子どもたちをどう支えるか 当事者も参加した拠点・ネットワークの構築――川崎市での実践』(pp.66-80)東京外国語大学多言語・多文化教育センター.
- 米勢治子(2006).「地域日本語教室」の現状と相互学習の可能性――愛知県の活動を通して見えてきたこと『名古屋市立大学大学院人間文化研究科 人間文化研究』6,105-119.
- 半原芳子(2009).『共生日本語教育』における参加者の積極的共生態度の検証――PAC分析から見た意義と課題『WEB版リテラシーズ』6(1).
2009年度春学期
- メリアム,S.B.(2004).質的調査法とは何か?『質的調査法入門――教育における調査法とケース・スタディ』ミネルヴァ書房.
- 関口明子・内田雅子・三田美佐子・金早苗(2007).「地域の大人の連携で実施した外国にルーツを持つ児童への日本語支援――授業についていける日本語の能力をつけるために『AJALT日本語研究誌』3,55-78.
- 郭嫻(2005).多文化共生をめざす地域づくり―中国渡日生に焦点をあてて『教育コミュニティづくりの理論と実践――学校発・人権のまちづくり』部落解放人権研究所報告書.
- 光元聰江(2002).子どもの成長を支援する日本語教育――日本語と国語との連関指導を通して『岡山大学教育学部研究集録』121,133-142.
- 齋藤ひろみ(2005).「子どもたちのことばを育む」授業作り――教師と研究者による実践研究の取り組み『日本語教育』126,35-44.
- 岡崎眸(2007).共生日本語教育とはどんな日本語教育か『共生日本語教育学――多言語多文化共生社会のために』(pp.73-318).
- 森本郁代・服部圭子(2006).地域日本語支援活動の現場と社会をつなぐもの――日本語ボランティアの声から 上田晃次・山下仁(編)『「共生」の内実――批判的社会言語学からの問いかけ』(pp.127-155)三元社.
- 矢部まゆみ(2007).日本語学習者はどのように「第三の場所」を実現するか――「声」を発し響き合わせる「対話」の中で 小川貴士(編)『日本語教育のフロンティア』.
- 竹山典子(2008).在日外国人生徒への心理的支援のあり方――高校への適応を果たした事例からの考察『異文化間教育』27,62-74.
- 尾崎明人(2001).日本語教育はだれのものか『日本語教育学を学ぶ人のために』(pp.3-14)世界思想社.
- 相磯友子(2006).外国人青少年たちはなぜ日本語教室に通い続けるのか――ボランティア日本語教室のエスノグラフィー『国立オリンピックセンター記念青少年総合センター研究紀要』9-121.
- 吉野正(2004).外国人の定住と権利保護 田尻英三・田中宏・吉野正・山西優二・山田泉『外国人の定住と日本語教育』(pp.73-102)ひつじ書房.
- 石黒広昭(2004).フィールドの学としての日本語教育実践研究『日本語教育』120,1-12.
- 西口光一(2006).在住外国人は日本社会への新メンバーか――地域日本語支援活動のあり方の再検討『大阪大学留学生センター研究論集 多文化社会と留学生交流』10,61-64.
- 鈴木江理子(2005).「機会の平等」を超えて――「違い」を「プラス」とする教育へ『多文化共生の教育とまちづくり』(pp.91-111)アジア・太平洋人権情報センター.
2008年度秋学期
- 石原昌英(2008).米国における二言語教育と言語権『月刊言語』37(2),60-67.
- 内海由美子(2003).地域日本語教育の理念――多言語・多文化共生社会を担う人材の育成に向けて『国文学解釈と鑑賞』68(7),204-212.
- 太田晴雄(1996).「第6章 日本語教育と母語教育――ニューカマー外国人の子どもの教育課題」宮島喬・梶田孝道(編)『外国人労働者から市民へ』(pp.123-143)有斐閣.
- 大山智子.「解説文:学校教育の中で多言語を育てるとは?――国連国際学校継承日本語クラスの授業実践に見る4つの『回転』」.
- 岡崎洋三(2003).「個性ゆたかな人間をつくる日本語教育」岡崎洋三・西口光一・山田泉(編)『人間主義の日本語教育』(pp.44-67)凡人社.
- 岡崎眸(2008).日本語ボランティア活動を通じた民主主義の活性化――外国人と日本人双方の『自己実現』に向けて『日本語教育』138,14-23.
- 岸田由美(2005).授業時間内における小学校多言語教育の有効性と課題に関する考察――トロントの遺産言語教育の事例から『カナダ教育研究』3.
- 金侖貞(2007).「多文化共生社会に向けての外国人市民の社会参加――NPO活動を媒介とした能動的市民の形成」『NPOと社会教育』(pp.61-73)東洋館出版社.
- 佐久間孝正(2006).「V章 教育システムの改革に向けて――オールドカマーとニューカマーへの対応をめぐって」『外国人の子どもの不就学――異文化に開かれた教育とは』(pp.177-207)勁草書房.
- 佐藤学(1995).「学びの対話的実践へ」佐伯胖・藤田英典・佐藤学(編)『学びと文化 1――学びへの誘い』(pp.49-91)東京大学出版会.
- 佐藤郡衛(2007).異文化間教育と日本語教育『日本語教育』132,45-57.
- 朱桂栄(2007).「言語少数派の子どもの母語保障に関わる研究」『新しい日本語教育の視点――子どもの母語を考える』(pp.7-26)鳳書房.
- 石司えり・平高史也(2007).地域に開かれた異文化間教育――公立小学校における異文化間教育授業実践から『総合政策学ワーキングペーパーシリーズ』117,1-32.
- 西口光一(2008).市民による日本語習得支援を考える『日本語教育』138,24-32.
- 野津隆志(2008).ニューカマー支援NPOと学校・教委・行政の連携――神戸の事例より『異文化間教育』28.
- 野山広(2008).「多文化共生と地域日本語教育支援――持続可能な協働実践の展開をめざして『日本語教育』138,4-13.
- ハタノ,L.T.(2006).「在日ブラジル人を取り巻く「多文化共生」の諸問題」植田晃次・山下仁(編)『「共生」の内実』(pp.55-80)三元社.
- 平高史也(2005).「総合政策学としての言語政策」『21世紀COEプログラム「日本・アジアにおける総合政策学先導拠点」』(pp.1-20)慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科.
- 細川英雄(2008).日本語教育学における「実践研究」の意味と課題『早稲田日本語教育学』3,1-9.
- 松尾慎(2006).「ホスト住民が持つ外国籍住民との相利共生意識」植田晃次・山下仁(編)『「共生」の内実』(pp.81-105)三元社.
- 茂木真理・石原弘子(2008).「日本語支援から意味ある実践への拡張に向けて――地域に開かれた日本語教室活動」『WEB版 日本語教育実践研究フォーラム報告』日本語教育学会研究集会.
- 安井綾・平高史也(2005).「ヒューマンセキュリティの基盤」としての言語政策『総合政策学ワーキングペーパーシリーズ』74.
- 山田泉(2008).外国人への『言語保障』――対等・平等な社会参加のために『言語』37(2),76-83.
2008年春学期
- Ohri, R.(2005).「地域の日本語教育におけるリテラシーとは何か――母語話者による非母語話者のステレオタイプ構築の観点から」第2回「リテラシーズ」研究会 http://literacies.9640.jp/conf/hist.html#n2.
- 木下千尋,T.(2007).学習環境をデザインする――学習者コミュニティーとしての日本語教師養成コース『世界の日本語教育』17,169-185.
- 佐藤郡衛(2003).「13章 異文化間教育と地域ネットワーキング」放送大学教育振興会『改訂新版 国際化と教育――異文化間教育学の視点から』.
- 新庄あいみ・西口光一(2007).地域日本語活動に参加する市民ボランティアの意識――大阪府下で活動するグループを例として『大阪大学留学生センター研究論集「多文化社会と留学生交流」』11,57-64.
- 新庄あいみ・西口光一(2007).地域日本語活動に参加する市民ボランティアの意識――大阪府下で活動するグループを例として『大阪大学留学生センター研究論集「多文化社会と留学生交流」』11,57-64.
- 新庄あいみ・服部圭子・西口光一(2005).「共生日本語空間としての地域日本語教室――言語内共生を促進する新しい日本語活動とコーディネータの役割」大阪大学大学院文学研究科・言語文化研究科『言語の接触と混交――共生を生きる日本社会』(pp.57-86).
- 西尾珪子(2002).地域日本語支援コーディネータ論『AJALT日本語研究誌』1,187-199.
- 西村まどか(2006).地域日本語学習支援におけるコーディネーターの役割――「ミクロコーディネーター」の観察から『ポリグロシア(立命館アジア太平洋研究センター)』12,75-93.
- 宮崎里司(2008).「新たな言語習得研究の展開――多文化共生社会における地域リテラシーをめざす視点」釜山学会資料(仮).
- 武蔵野市地域日本語教育推進委員会(2000).「第3章 武蔵野市国際交流協会」『武蔵野市地域日本語教育推進事業報告書――市民活動としての日本語「共育」の試み』(pp.25-54).
- 吉永宏(1999).『響き合う市民たち――NPOとボランティア入門』(pp.1-34)新曜社.
- 渡邊優生(2007).多文化共生を目指した地域日本語交流活動――地域日本語ボランティアの新設と日々の活動からの考察『鈴鹿国際大学紀要「Campana」』13,151-168.
2007年秋学期
- 池上摩希子(2007).「地域日本語教育」という課題『早稲田大学日本語教育研究センター紀要』20,105-117.
- 石井一成(1998).地域の日本語支援の場におけるリテラシー行動の類型化の試み『日本語教育』98.
- 岡崎眸(2007).「共生日本語教育とはどんな日本語教育か」岡崎眸(監)『共生日本語教育学――多言語多文化共生社会のために』雄松堂出版.
- 尾崎明人(2004).「地域型日本語教育の方法論的試案」小山・ほか(編)『言語と教育――日本語を対象として』くろしお出版.
- 菊池久一(1995).「第1章 3.〈意識化〉と識字:パウロフレイレ」『〈識字〉の構造――思考を抑圧する文字文化』(pp.49-74)勁草書房.
- 菊池久一(1995).「第1章」『〈識字〉の構造――思考を抑圧する文字文化』(pp.8-35)勁草書房.
- 齋藤恵(2006).「JSL児童生徒の成長における「audibility」と「行為主体性」の意味――子どもの成長を支援する言語教育のために」リテラシーズ研究会(編)『リテラシーズ 2――ことば・文化・社会の日本語教育へ』(pp.113-128)くろしお出版.
- 佐藤郡衛(2007).異文化間教育と日本語教育『日本語教育』132,45-57.
- 佐藤公治(1999).「3章 相互作用における自己と他者」「5章 教室の中の学習と対話」「終章 発達と学びの回復を目指して」『対話の中の学びと成長』金子書房.
- 鈴木崇弘・ほか(2005).『シチズンリテラシー――社会をよりよくするために私たちにできること』(pp.10-22,147-159)教育出版.
- 鈴木みどり(1997).「第1章 メディアリテラシーとは何か」『メディアリテラシーを学ぶ人のために』(pp.2-22)世界思想社.
- 牲川波都季(2006).「「共生言語としての日本語」という構想――地域の日本語教育をささえる戦略的使用のために」植田晃次・山下仁(編)『「共生」の内実――批判的社会言語学の問いかけ』(pp.107-125)三元社.
- 高橋満・石沢真貴・内藤隆史(1996).在日韓国朝鮮人の地域教育運動と社会教育――川崎市「ふれあい館」設立過程の事例『東北大学教育学部研究年報』44,65-92.
- 玉懸光枝(1999).「第9章 幼稚園児はそのようにして「集団」に出会っているのか――差異の使われ方と規範の生成」箕浦康子(1999)『フィールドワークの技法と実際――マイクロ・エスノグラフィー入門』.
- 永見昌紀(2005).「第4章 協働学習を理解する」西口光一『文化と歴史の中の学習と学習者――日本語教育における社会文化的パースペクティブ』凡人社.
- 仁平典宏(1999).「第7章 新しいボランティア観のインパクト――ある通所施設での実践の諸相から」箕浦康子(1999)『フィールドワークの技法と実際――マイクロ・エスノグラフィー入門』.
- ニューマン,A.P.(1998).「第1章」『読み書きの学び――成人基礎教育入門』(pp.7-22)解放出版社.
- 佐藤郁哉(1999).「第12章 フィールドワーク・クラスのエスノグラフィ」箕浦康子(1999)『フィールドワークの技法と実際――マイクロ・エスノグラフィー入門』.
- 村本由紀子(1999).「第11章 集団と集合状態との曖昧な境界――早朝の公園で見出される多様なアイデンティティ」箕浦康子(1999)『フィールドワークの技法と実際――マイクロ・エスノグラフィー入門』.
- 森下雅子(2003).日本語ボランティアグループにおける参加のデザイン『21世紀の「日本事情」』5,4-17.
- 森本郁代(2001).「地域日本語教育の批判的再検討――ボランティアの語りに見られるカテゴリー化を通して」野呂・山下(編)『正しさへの問い――批判的社会言語学の試み』(pp.215-247)三元社.
- 森本郁代・服部圭子(2006).「地域日本語支援活動の現場と社会をつなぐもの――日本語ボランティアの声から」植田晃次・山下仁(編)『「共生」の内実――批判的社会言語学の問いかけ』(pp.127-155)三元社.
- 矢部まゆみ(2007).「日本語学習者はどのように「第三の場所」を実現するか――「声」を発し響き合わせる「対話」の中で」小川貴士(編)『日本語フロンティア』.
- 米勢治子(2006).「地域日本語教室」の現状と相互学習の可能性――愛知県の活動を通して見えてきたこと『人間文化研究(名古屋市立大学大学院人間文化研究科)』6,105-119.
2007年春学期
- Emerson, R. ・ほか(佐藤郁哉・ほか訳)(1998).「第1章 民族誌的調査におけるフィールドノーツ」『Writing Ethnographic Fieldnotes:方法としてのフィールドノート――現地取材から物語作成まで』(pp.23-55)新曜社.
- 異文化間教育学会(2007).シンポジウム「多文化共生社会はどこまで可能か――新宿の異文化間教育的理解」『2007年度異文化教育学会第28回大会抄録集』(pp.29-37)異文化間教育学会.
- 嘉数勝美(2006).ヨーロッパの統合と日本語教育――CEF(「ヨーロッパ言語教育共通参照枠」)をめぐって『日本語学』25(13),46-58.
- 高木光太郎(2003).「学習」としての地域ネットワーキング『異文化間教育』18,60-67.
- 渋谷真樹(2003).地域ネットワークの構築過程とキーパースンの役割――言語学習の現場で生じる位置取りのダイナミズムに着目して『異文化間教育』18,36-46.
- 杉澤経子(2004).「II.4.人間関係の構築の重要性」文化庁(編)『地域日本語 学習支援の充実――共に育む地域社会の構築へ向けて』(pp.66-80).
- 多文化共生センター大阪(2007).『多文化共生に関する自治体の取組みの現状』.
- 土屋千尋(2005).外国人集住地域における日本語教室活動――相互理解と課題発見のための日本語コミュニケーション『日本語教育』126,25-34.
- 野山広(2003).地域ネットワーキングと異文化間教育――日本語支援活動に焦点を当てながら『異文化間教育』18,4-13.
- 野々口ちとせ(2005).地域の日本語教室における参加者のニーズとコースデザイン『お茶の水女子大学人文科学研究』1.
2006年秋学期
- 大平未央子(1999).接触場面の質問――応答連鎖における日本語母語話者の『言い直し』『大阪大学留学生センター研究論集「多文化社会と留学生交流」』3,67-85.
- 竹内元(2000).授業における「経験」と「学び」『日本教育方法学会紀要「教育方法学研究」』26,65-72.
- 永見昌紀(2005).「協働学習を理解する」『文化と歴史の中の学習と学習者――日本語教育における社会文化的パースペクティブ』(pp.80-101)凡人社.
- 半原芳子(2006).「対話的問題提起学習」の実証的研究――非母語話者の問題的場面に注目して『多言語多文化社会を切り開く日本語教育と教員養成に関する研究』(pp.26-57)平成14-18年度科研成果報告書(研究論文編).
- 村上かおり(1997).日本語母語話者の「意味交渉」に非母語話者との接触経験が及ぼす影響――母語話者と非母語話者とのインターアクションにおいて『世界の日本語教育』7,137-155.
- 森本郁代(2003).多文化共生社会を目指して――地域日本語学習支援活動を見る視点『異言語教育の今日的課題』(pp.47-56)言語文化共同研究プロジェクト2002.
- 山田泉(2002).「地域社会と日本語教育」『ことばと文化を結ぶ日本語教育』(pp.118-135).
- ロウレンス,S.(1993).日本語の書ことば・話しことばにおけるオノマトペの分布について『オノマトピア――擬音語・擬態語の楽園』(pp.77-93)勁草書房.