日本語教育実践研究 (5)
期末レポート(2010年春学期受講生)
1.三つの目標に関して
目標1:「文型」や「表現(機能)」からではなく,「状況」から出発する教材作成,および,それを用いた授業を理解し,実践する。
コンサートのチケットが2枚あって,それを持って,友達をコンサートに誘いなさいとロールプレイを学習者にさせると,学習者が友達を誘うより,金券ショップに行って,チケットを売りたいと言った。前期履修していた教育文法論で先生が挙げたこの例がとても印象深かった。確かに,現行の日本語教育では,郵便局ならEMS,デパートなら買い物,レストランなら料理の注文,美容院ならヘアカット,のように学習者個人個人の状況を無視して,「この状況はこの文型を使う」とすでにラベルがつけられている。自分自身もこのように日本語教育を受けてきたので,まったく疑問には感じていなかった。しかし,考えてみると,郵便局でATMでの振り込み方を尋ねる,デパートで道を聞く,レストランで店員と交渉する,美容院でデザイナーとおしゃべりするというようなシチュエーションも当然起こり得るので,学習者自身の状況,その状況に必要な日本語を教えることが自然なのではないかと思うようになった。
では,教科書なしで学習者一人ひとりの状況に対応していく授業とはいったいどんな授業なのか。実践してみたら,考えていたより難しかった。
前半はいつ,どこで,誰に日本語を話したいのか,話せなくて困ったことがあるのか,それはどういうシチュエーションなのかを中心に,学習者と1対1のペアで授業が進んでいた。そして,「話せないこと?それは多すぎるよ。」,「どんな時に何を話したいのかと言われても,何でもいい,とにかく話したい。」という学習者の声があった。自分の留学生生活を振り返ってみると,例えば,初めてマックに行ったとき,とても速いスピードで「店内で召し上がりますか。お持ち帰りですか。」と聞かれて,何を話しかけられたのかよく分からないことがあった。しかし,店員がトレーを取ろうとする動作を見て,たぶん「どこで食べるか」と聞いているのだろうと推測した。また,イタリアン料理のお店に行くとき,メニューが全部カタカナで,どんなものが入っているのか分からないから,写真を指して,「これをください。」とオーダーしていた。このように,場面に依存して,何とか解決できたことが多く,話せなくて困ることは何かと聞かれたら,逆に困るかもしれない。また,同じ学習者の立場として,せっかく今日本で日本語を勉強しているので,欲張りではあるが,何を話したいのかより,何でも話せるようになりたいという気持ちもよく分かる。
そのため,最初はこのように無理やり学習者から自分の状況を引き出すのは本当にいいのかと正直思ったことがある。しかし,15週間の授業で,何もかもカバーできるわけではなく,それが目的でもない。目的は授業を通して,学習者が自分の言語生活をメタ的に認識することである。例えば,「この状況で,日本語をうまく話せなくて損をした。」,「この状況はそんなに困らず何とか解決したが,話せなかったことはやはり話せない。」,或いは,「話せたが,実はそれが間違っていて,自分が本当に言いたいこととずれているかもしれない。自分が置かれる状況でどうしたら適切に話せるようになるのか。」,「これからの生活や勉強の中で,どうやって自分の状況に必要な日本語をどんどん積み重ねていくのか」などを認識させることこそ,「わたしの日本語プロジェクト」の「売り」なのではないかとしみじみ感じた。
また,引き出しの仕方に関しても,とても勉強になった。直接「いつ,どこで,誰に日本語を話したいのか,話せなくて困ったことがあるのか」という質問を投げるのは,単に学習者を困らせるだけである。そうではなく,「私はこのような状況で何を話したらいいのかを迷っていた。○○さんなら,何と言いますか」と細かく質問して考えさせたり,ロールプレイをして,「自分がこのようなときうまく話せなかった」という気付きを与えるほうがより学習者から自分の状況と本当に言いたい日本語を引き出せるいい方法だと思った。