特派員報告@長春
2.「まとめ」そして次の赴任先マレーシアへ
長春への派遣は4か月だけであったが,教師として非常に濃い時間を過ごした。授業スケジュールが過密な忙しいプログラムであった。しかし,それ以上に,学生とわたしの間で,知らなかったことが分かったり,どこかにあった誤解が解けていったために,この4か月が濃いものになったのではないかと思う。
授業最後に,担当クラスの学生に対しアンケートを取った。その中で日本人に対するイメージを問うものを作った。そこで,学生は「私は日本人が忙しくて,自分の生活や感情をあまり考えられませんと思います。しかし,木村先生はみんな一緒に卓球やバドミントンをしたので,日本人はいつも厳しくないです。」と答えている。
これは2つの意味がある。1つは,プログラムのカリキュラムが,ひたすら修了試験合格を目指した講義授業中心だったので,筆者が放課後のアクティビティを企画したことは,学生の心を和ませたという意味である。2つ目は,「いつも忙しく,厳しい日本人のイメージが変わった」ということを意味している。
ここで取り上げたいのは,日本人に対して「いつも忙しく,厳しい日本人」というようなイメージがあるということだ。これは,他の学生にもあるようだ。アンケートの中には,日本人のことを「“あまり親切でなくて,厳しい人が多い”というイメージがあるのです」,「日本人が冷たいというイメージが(あった。しかし,)変わった」という声もあった。
「日本人は冷たいだろう」という懸念を学生が持っていることは,4か月の間に何回か感じていた。「日本人が他人に冷たいというのは本当ですか」という質問を複数の学生から受けたのだ。これらの学生たちの声に,「このプログラムに入ったからには,日本に留学したい。しかし,厳しく冷たい日本人のいる国に留学せねばならない。」という学生らの不安を読み取った。
だから,教師が優しい日本人を演じることが,彼の地での日本語教育に必要だという話をするつもりはない。また,留学先として,楽しくて,いい日本を伝えることが教師の仕事だとも思っていない。留学生が自分に関わる日本人と日本の姿を見つけ出す力,その力をつけることが前赴任国に必要な日本語教育だったと考える。
定型化されたものを与える教育しか行われていない。だから,学生は「日本での自分と周りとの関係性」を自分の力で想像することができていないから不安になるのではないか。
学生が定型化された決まった対象しか追っていないのなら,学生に不規則に絡まろうとする糸と学生は有機的に結びついていかない。学生が決まった対象しか追わないのは,教師の支援の不足でもあろう。教師が学生に定型化した対象しか与えていないのだ。教師は学生と他者とそして,彼らを取り巻く不規則に絡まる人と人との関係の糸を伸ばす支援をすることができるはずだ。この糸は縦横無尽に伸び,やがて糸は網となり,さらに広がっていくはずだ。このような広がった関係性の中では,定型化されたたった一つの日本人・日本というイメージを作る方が難しい。それがわかっていれば,「日本での自分と周りとの関係性」を正確に想像でき,対処できると自信が持て,不安は少なくなるはずだ。留学生が自分に関わる日本人と日本の姿を見つけ出す力,その力をつける授業とはどんな授業か。これを考え,今,次の赴任先で授業を作ろうとしている。