塩島弥生(しおじま やよい)

17期生:2009年春入学

業績

論文
  • 塩島弥生(2011).『日本語教育におけるパラダイムシフトの捉えなおし――日本語教師の意識と役割に関する考察から』早稲田大学大学院日本語教育研究科修士論文(未公刊).[概要書
発表
  • 林亜友美,菅原るり,安藤宴子,塩島弥生,福岡順子,福村真紀子,細谷仁美(2010年8月).「省察による設計者の理念と実践の変容 ―『にほんごわせだの森09秋』の実践報告から」日本語教育学会世界大会ポスター発表(台湾:国立政治大学).
その他

自己紹介

先日,古巣の日本語学校で「復職」という形で挨拶をする機会がありました。知っている顔,知らないけれども私の知らない時を知っている人びと,いろいろな人やモノゴトが入れ替わり,そして私もいろいろな経験を経て,再びここにいるのだなぁと,とても感慨深い気持ちになりました。思えば,私はここからスタートしたのだった,と。

日本語教育に携わって早幾年。あっちへ行ったり,こっちへ行ったり,あれを考えたりそれを考えたりしながら,濃い時間を過ごしてきました。その間,ただひたすらに,自分の目の前にあること,目の前にいる人たちに向き合い,どうしたらよりよい今日を作れるのか,幸せな明日を迎えることができるのかを,考えてきました。泣いたり笑ったりしながら,目の前のみんなとともに考え,ともに歩んできたように思います。そして,思いのたくさん詰まった濃厚な時間を経て,今,私は大学院で研究をしています。けれども,ここに来たのは,論文を書きたかったからではありません。今までの自分と自分のしてきたことを振り返り,見つめなおし,考え,そして更に先に進みたかったからです。

自分がしたいと思っていること,自分にできること,そして,誰かのためにしたほうがいいこと,それぞれは違うのかもしれません。それを見つめ,私には何ができるのか,何をするべきなのか,これからどのように進んでいけばいいのか。それらを見極めていくのが,今の私に必要なことなのかもしれません。

そしてそれをするために忘れてはならないことがあります。それは,スタートした頃の自分の姿勢や気持ちと,その後の様々な思いや失敗があったからこそ,今の自分があるのだ,ということです。初心忘れるべからず,とはよく言いますが,過去の自分を忘れようとしたり,忘れたいと思ったりすることも少なからずあるはずです。しかし,その頃の未熟だった自分も含めて,今の自分が出来上がっているのだということを考えれば,絶対に忘れてはならないのが,昔の自分なのだと思うのです。

今目の前にあることだけ,もしくは先のことだけを考えていくのではなく,現在と過去と未来の,様々な人の人生と交差している自分の人生を考えながら,これから進んでいけたらいいな,と思っています。